カテゴリ:事件・裁判から法制度を考える
高島章弁護士は、今回懲戒請求に殺到した方々の弁護に名のりをあげています。
それ自体は素晴らしいことであり,「あんな連中を弁護する弁護士はそれだけでダメだ」という弁護士はいないと思います。 高島弁護士は懲戒請求そのものはダメなのだという建前を同時に表明していますが、私は例え高島弁護士が「懲戒請求の何が悪いのだ」と発言していたとしても、高島弁護士を非難する気にはなりません。 依頼者に寄り添うべき立場上、内心と違ったことを言うことだって当然あり得ます。 皆さんもっともっとやれ!などと追加の扇動をするならば話は別ですが、弁護をしたことはもちろんのこと、立場上懲戒請求を正当化するような発言をしたとして、それを公然と非難するような弁護士はいないと思います。 もしいたならば、非難する弁護士の側を三百代言と呼ぶことに私は何の躊躇もありません。 (なお,民事提訴した弁護士に「品位を害する」という発言をした弁護士にはかなりの嫌悪感を抱いていることを念のため付記しておきます) ただし、その理論構成について,高島弁護士は(ご本人の顔本より一部引用、原文ママ) 前記した通り真実でない「非行事由」を主張して懲戒請求をすることは、「違法懲戒」でしょうが、本件大量懲戒は、どうもそうではないようです。そして、このような懲戒請求が「違法ある」といえるかどうかはきちんと議論しないといけない課題でしょう。懲戒請求をした側(ネトウヨと言われる人たち)は、独自の政治的信条に基づく「正義」を実現するため懲戒請求をしたのでしょう(重ねて言いますが「主張自体失当」ですし、請求を受けた弁護士も迷惑千万でしょう)。 事実誤認は問題外として、独自の政治的信条に基づく正義を実現する懲戒請求まで違法と言えるのかどうか?という疑問のようです。 しかし、これについては最判平成19年4月24日の事案が参考になるように思われます。同判例の一般論はもちろん懲戒請求が不法行為となる場合について重要な判例ですが、個人的に気になったのは具体的な当てはめの方です。 この裁判の事案において、懲戒請求者が懲戒請求した理由を確認してみましょう。 この事件で懲戒請求を受けた弁護士は、依頼者に仮差押をかけてきた懲戒請求者に対して民事訴訟法上適法な管轄で、損害賠償請求訴訟を提起しました。この訴えは結局懲戒請求者が金銭を支払う形で和解しています。 しかも、仮差押はその懲戒請求者自身がその管轄裁判所にて申立てをしたことが契機となっているもので、懲戒請求者自身もそこに管轄があると分かってしかるべき状況でした。 にもかかわらず、懲戒請求者は「自分は目が悪い(片目は失明寸前)上に出頭まで1日かかる。そんな自分に遠隔裁判所に訴えを提起するのは濫訴である」という主張を前提に懲戒請求をかけたいう案件です。 この案件では、別段虚偽の事実による懲戒請求は行われていません。 「適法な管轄裁判所に提訴したのであろうと濫訴である」という彼なりの正義・不満に基づいて懲戒請求をしたのであろうと考えられます。 この判例の高裁判決は、そうした不満を抱いたことは事実であろうから、懲戒請求自体が不法行為であるとは言えない、と判断していました。 その判断を覆したのがこの最高裁判決です。 確かに懲戒請求者は法律家ではないとしても、訴訟の提起が正当な訴訟行為であって何ら不当ではないことを十分に認識でき、根拠に欠けることは知りえた。 そうである以上不法行為だということであり、「各人の正義」や「各人の不満」というような主観的な正当化事情が存在することをもって,懲戒請求者に責任がないという考えを否定したのです。 こうした各人の持つ主観的な正義感に基づく行為である、ということが、本当に各懲戒請求者を免責するものと言えるのかどうか。 現段階での裁判所の判断手法の実例からすれば、「虚偽の事実に基づかない個別の正義に基づく懲戒請求だから」という理由づけでは、懲戒請求者には厳しい判断になることが予想されるように思われます。 また,被害額については,個別的な事件受任がダメになったとかそういった具体的な損害の主張立証がないケースでも50万円の損害賠償が認められているケースがあります。(こちら参照) 前記した最判の事案の第一審判決(最高裁は二審判決を取り消して一審判決を復活させている)でも、容易に推認できるとしている状態です。 具体的な事件受任や顧問先を切られた,収入がガタ落ちした,所属弁護士会の移転などが出来なくなってしまった(弁護士法上不可能になる)という事実が賠償額の増額要素になることはあるでしょう。 しかし,それを通り越してそういった事実がないから損害がない,というような考え方は今の裁判所は取っていないと判断するのが穏当ではないでしょうか。 もちろん,これらは現段階における個人的な判例検討からくる,「裁判所はこう判断するのではないか」という感想に過ぎず,こうした裁判所の判断の例が正しいというものではありません。 「特定の正義や感情に基づく同時多発的な懲戒請求の殺到」自体,弁護士会も想定していなければ裁判所も想定していなかったと思われる頃の事案であり、今なおそのような考えを維持すべきかという問題意識自体は裁判所側にもあってしかるべきものです。 そもそも高島弁護士自身も,法的に裁判所に通るか,というよりも,懲戒制度自体の在り方への問題提起として話しているようにも感じられ,上記の私の指摘はかみ合っていない可能性があります。 その意味で、どのような主張立証がなされるか,改めて楽しみにしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年05月15日 16時55分44秒
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