カテゴリ:事件・裁判から法制度を考える
以前の記事でああでもない、こうでもないと書きましたが、今回の佐々木弁護士らに対する大量懲戒請求事件において、共同不法行為が成立するかどうかは、結構難しい問題であろうというのが私の認識です。
ゴールも難しい問題なので,入り口をどうとるかも難しい問題になります。 確かに,被害額総額は数百万円程度,弁護士としてある程度乗せ気味にして請求するにしても1000万くらいが上限であり、共同不法行為とする,というのが私が支持する結論ではあります。 ただそれは,あくまでも「かぜのせいるーらのかんがえたさいきょうのおとしどころ」に過ぎず、実際の裁判がそうなる裏付けはありません。 外れたとしても全く責任を持てないものです。(そもそもガチ予想をするには信頼すべき情報も足りなすぎます) 小倉秀夫弁護士が繰り返し指摘しているのですが、共同不法行為で数百万円程度の不法行為として認めるならば「みんながやっているのだから,自分が加わっても賠償額は数千円程度、もしかしてゼロかも」というような加害者側のとんでもない期待を生み、更なる加害行為を誘発してしまうという可能性はあり,批判として十分理があります。 民事訴訟法における訴訟物や弁論主義との関係で,当事者から主張がない(殺到型の場合、加害者側に共同の自覚自体ない可能性もある)共同不法行為の成否までも裁判所が論じる必要がでてしまうのではないか,という問題もありえるところです。 現行の損害賠償算定における実務を前提とする限り「被害者が焼け太る」vs「更なる加害行為の誘発」等と言った相互にメリット・デメリットのある一長一短の問題であり、少なくとも確立した解釈が見当たらず,線引きが必要であるにしてもどこに先を引くか悩ましいと認識しています。 明らかに確立した解釈が存在しており,それを私が知らないだけだということなら、多分もう提示されているのではないでしょうか。 そもそも現行民法や民事訴訟法が何十人何百人に渡る殺到型不法行為で各人を訴えるという事態を想定していなかった所でもあると思われ,重判掲載レベルの重要な新判例たりえる可能性すらあると考えています。 そんな中で,私にとって佐々木・北弁護士らに対する懲戒請求殺到事件に関連して,ひどく株を落とした弁護士がいます。 それが猪野亨弁護士です。 ちなみに,橋下徹弁護士も猪野弁護士と同様の主張をし始めましたが,こちらは元々株が落ちまくっているので今更落ちていません。 猪野弁護士は,今回の件について,懲戒請求を受けた弁護士の訴訟提起という対応に批判的な主張をしています。 訴訟提起に批判的な主張をした,というだけで株を落とすほど私は各弁護士のシンパではないと思っていますが…。 猪野弁護士のブログ記事がこちらになります。 そうすると,今回の大量懲戒請求は、大きな社会勢力から挑戦を受けたものでもありません。一部の世間知らずの人たちが乗せられてしまったという問題ですが、それ自体、社会の病理ではありますが、そういったレベルの人たちに訴訟まで起こすのか、ということです。 この発言は私は個人的に非常に眉を顰めました。 訴訟まで起こすのか,ということですが,訴訟がダメだというのなら,各弁護士は訴訟以外でどうやって自己の被害を回復させるというのでしょうか。 自分も懲戒請求を受けたが,被害がなかったとも言っていましたが,猪野弁護士の感じ方は個人の自由であり,とやかく言うべきことではないと思います。 損害がないことについて証言台に立ってもいいと言っていましたが,それも非難はしません。 しかしながら,懲戒請求については裁判例上例え一件だけ,理由のない感情的不満に基づくようなものであっても「損害がないと言うものではない」ことが繰り返し認められており,これは確立した運用であるというべきです。 最判平成19年4月24日の田原睦夫裁判官の補足意見でも懲戒請求の悪影響は非常に重大であることに触れています。 最判平成23年7月15日(懲戒請求扇動事件)も,手続がまとめて終えたことは確かに個々の弁護士の受忍限度で収まる理由の一つとされていますが,それだけではなく,そもそも扇動者への訴訟であること,懲戒請求の存在は個別懲戒請求者の意思によるところが大きいこと,社会的に耳目を集めた件の弁護であることなどを総合考慮しているところで,更に扇動者以外の他の当事者に対する不法行為の成否は棚上げとなっています。 少なくとも,被害を受けた自分は大したことだと思わないから他の人も被害がないに違いない,そこで判例のような知識の歯止めも無視していいという考え方はハラスメントを行う人がしばしば主張する「自分は大丈夫だった」の言い訳の典型例になりかねません。 さらに,どう見ても共同不法行為が成立すると書いていますが、これも見解が分かれているところです。 もちろん,そうした判例の在り方はおかしいというのであれば,そのような批判をすることはアリです。私もやります。 または,訴訟以外の良い方法があるというのであればそちらを使うべきだという意見もアリです。 しかし,他人の受けた被害について判例上被害があると優に認められている事項について被害がないといい,挙句に弁護士に向かって「品位を害する」とまで言うとなれば,話はだいぶ違ってきます。 弁護士の職務の適正を確保するために立法政策的に認められている懲戒請求と違い(平成23年判例竹内裁判官補足意見),民事訴訟を提起する権利は憲法32条において保障された,非常に強力な権利です。 それ自体を「品位を害する」と言われたら,佐々木・北弁護士は法的に認められる請求権について訴訟すら起こすことができず,泣き寝入りするのが正当ということになります。 「品位を害する」というのは,弁護士からしてみれば懲戒理由があると言われているに等しく(弁護士がその言葉の重みを理解していないはずがない),そう簡単に言っていい発言ではありません。仮定法をつけた論評ならいざ知らず、それもないのであればなおのこと。 そのような発言を公共の場で行うことの恐ろしさを認識していない弁護士「控えめに言ってドン引き」です。 というより,最高裁にまで「軽率」と言われた橋下氏の発言と同レベルと感じました。 まさかろくに判例調査もせず印象論だけで「品位を害する」などと決めつけているなどとは思えない(流石に現状においてそう断ずることは失礼と思います)のですが、調査済みの発言であるならば,せめてその調査結果を簡単にでも明示すべきであると思います。 なお,個人的に関連する問題意識として,今回の件について弁護士界隈の盛り上がりぶりに関する高島弁護士の問題意識として,下記のようなことがありました。 「皆さんに知ってもらいたい」と書きましたが、同業者・弁護士への注意喚起という趣旨もあります。 この点には,実は共感するものもあります。 私は、3年位前までtwitterでそこそこ呟いていました(現在は鍵アカウントで、ブログ投稿を紹介する程度です)が,止めてしまいました。 止めてしまった理由はいくつかあるのですが,15%くらいがいわゆる「法クラ」と呼ばれる弁護士twitterの在り方です。 法クラがちょっと悪乗りというか,流れに任せて言いすぎているのではないか,と感じることがあったからです。(もちろん言葉を選んでいる方も多々おりますので、法クラ全員を非難する趣旨ではありません) 私自身も,決して意思が堅固であるとは言えず,自分も流れに乗って言い過ぎたのではないか,と自分で感じることも増え,それで距離を置こうと思ったのです。 今回の件も,twitterを見ていると「懲戒請求をしてもらえば儲かる」「ネトウヨの個人情報使い放題」なんて趣旨の言説も散見され、その点に関しては私個人も眉をひそめている所です。 詳細は割愛しますが,訴訟提起に付随する関連行動については,原告当人についてもうーん,これっていいのだろうか…と思う所もないわけではありません。 今回の訴訟についても,そうした様々な手法などに様々な賛否両論はあっていいでしょう。 訴訟を起こした方々はわざわざ自ら表に出てきて裁判を公にしているのですから,そこで賛否の意見表明を受けることは当然のことと言えます。原告となった弁護士当人がそれを希望しているようにも思えます。 また,弁護士会の懲戒請求の扱いに問題があるのだ,という橋下氏や猪野弁護士の指摘についても,独立しての批判であれば共感するものもあります。 ただそれでも訴え提起自体について「品位を害する」と公の場で言うことについては,私としては到底譲れない一線に触れた発言であると思われ,絶対に賛同いたしません。 また,私のああでもないこうでもないという悩みの中で書いた「個人的な落としどころ」についてこういった主張に使う方(いるとも思い辛いですが)がもしいらっしゃったならば,私個人としては心外であるということを表明いたします。 なお,懲戒請求者側を受任することを表明した高島弁護士に対しての株は特に上がりも下がりもしていませんが、これは元々「高島弁護士ってそういう方」という感覚があったからで、そういった姿勢を高く評価していたからです。 こちらは橋下氏と違い,決して評価が低い故に「もう落とせない」という趣旨ではありません。 また、しかも,こちらを見ればわかる通り,実は高島弁護士は訴え提起そのものを非難するような言説は発していません(内心でどう考えているかは分かりませんが、内心がどのようでも無関係です)。 個別不法行為と認めた場合に想定される数億の金額が妥当なのか否かについては「誰も論じたことがない論点」とした上で,「みんなでやれば怖くないになる」という批判にも理解を示しています。 もちろん,懲戒請求者代理人という立場上,その点について高島弁護士は懲戒請求者側有利に理論を組み立て主張することでしょう。 それは弁護士として当然の職務であり、批判には当たらないことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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