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碁法の谷の庵にて

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2018年11月08日
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懲戒請求に対してのカウンター訴訟に批判的な見解の一つに「懲戒請求を萎縮させるつもりか!!」という意見があります。


「懲戒請求が正当かどうかなんてことは,懲戒請求者となることが予定されている一般市民からしてみれば事前にわからなくてしかるべきもの。
結果的に懲戒すべきでない事案を懲戒請求したとして、それが責任を問われると言うことでは,怖くて懲戒請求できない。
それでは,弁護士に対する監督が不十分になるのではないか。」


という問題意識であろうと思われます。

 懲戒請求に限った話ではなく,結果的に間違った行為をしてしまった場合などに徹底的に責任を追及されてしまっては,皆怖くてそれが出来なくなってしまいます。
 人が法に従って動くことが前提とされるべきで,違法上等なおバカの懲戒請求に期待すればよいという考え方を取ることは許されないでしょう。
 それであれば,結果的に間違っても責任を問わないあるいは責任を制限する…というのは,責任追及が問題となる局面において常に問題になると言っても過言ではない考え方であり,懲戒請求においてもこの考え方に漏れるものではありません。
 こういった萎縮効果に関する問題意識自体は,一般論として正当なものと思います。



…しかしながら,今回のカウンター訴訟が懲戒請求を萎縮させると言う主張ははっきり言って失笑ものと断言できます。

 そもそも懲戒請求が法的責任を問われる場合がある,というのは昨日今日突然出てきた話ではありません。
 平成19年4月24日の最高裁判例以降はずっとそうだったのです。
 最高裁判決を批判するのは自由(私もやる)ですが、それなら文句は最高裁に言うべきです。

 今回のカウンター訴訟の結果として以前と比べれば懲戒請求は気をつけなければ,それならやめておこうか…という発想の人々が増えた可能性はあると思います。
 しかし,別に新たな法解釈が出てきたと言う訳ではなく、単にカウンター訴訟の結果として事実が知れ渡ったと言うだけのことに過ぎず,新たな事実が出てきた訳ではありません。
 知らないまま行動に移して突きつけられるのと、知らされた上できちんと行動に移す前の準備を考えて臨む
 後者の方がマシであることは言うまでもないことです。
 
 今回の件で「懲戒請求は調査検討を要する」という知識を得た結果、「知識がなければやっていた懲戒請求を諦める」と言う事態があったとしても、それは法制度に無知な人々が法的知識を得ることで襟を正しただけの話です。
 最高裁判決に従う限り、旧来の状態こそが無知ゆえの増長状態であり、それを適度に戻したというだけの話であろうと考えます。


 




 「懲戒請求の権利を保障する」という考え方にも,最高裁判例の見地から一つ指摘させていただきます。

 確かに,懲戒請求は利害関係人以外にも幅広く認められ,弁護士を監督するためには非常に重要なものです。
 他面において,「個人の権利救済の手法」として懲戒請求制度が使われることは想定されていません最二小判昭和49年11月8日最一小判昭和51年3月4日など)。
 例え懲戒されるべき弁護士が不当に懲戒されなかったり,懲戒請求について弁護士会がろくな審査をしないと言う事態があったとしても,そのことは確かに弁護士の監督上問題ではあるが懲戒請求者の権利が害されたという問題ではない,というのが最高裁判所の考え方です。
 刑事裁判における被害者の地位がこれに近く、犯罪被害者は刑事裁判において憲法上の裁判を受ける権利(憲法32条)の埒外で、被害者の裁判を受ける権利は民事訴訟において保障されると言うことになります。

 この最高裁の見解からすれば,懲戒請求者個人の積極的な権利擁護を懲戒請求手続において考える必要は乏しいということになるでしょう。
 せいぜい事実調査の過程で追加的な被害を与えないよう配慮すべきと言う程度でしょうか。

 そうすると,懲戒請求に当たっての懲戒請求者の調査検討義務は,あくまでも「懲戒されるべき弁護士の発見」という視点に絞って考えるべきで,「懲戒請求されるべき人の発見には役に立たないが,そうだとしても権利だから萎縮を最大限に抑えなければならない」というような見解に立つ必要はないのです。
 例え本当に萎縮したとしても,それは「萎縮によって懲戒すべき弁護士が見逃されてしまう」ことが問題なのであって,「萎縮した方が懲戒すべき弁護士の適切な発見に資するならば,どうぞ勝手に萎縮してください」ということで問題ないのです。
 
 その上で,13万件もの訳の分からない理由による懲戒請求を出せば,懲戒すべき弁護士が発見できると言えるのでしょうか。
 懲戒請求が何なのかも知らずにただ懲戒請求を送り付ける。そんな懲戒請求者も責任を問われないほどゆるーい注意義務を設定しなければ,懲戒すべき弁護士を見逃してしまうのでしょうか。
 私は,この程度で萎縮する懲戒請求なら、ない方が本来調査されるべき真剣な懲戒請求に手間と時間を割き得て,懲戒すべき弁護士の発見に資すると考えます。
 オオカミ少年現象だって起こりえる訳ですし。


 イシュクスルーイシュクスルーと騒いでいる人達は,上記のような懲戒請求権の性質を理解した上で(最高裁の見解に反対であっても知識として現在の最高裁の見解を理解した上で),このような懲戒請求を全面的に認めることが懲戒すべき弁護士の発見に役立つとお考えなのでしょうか。
 少なくとも私が見た限り,この最高裁の見解に従った上での萎縮効果を主張していると思われる人はいなかったように思います。
 「一般市民の懲戒請求の権利をできる限り保障すべき」と補足意見にすら書いていないことを「最高裁が論じている」と強弁している人物(&その尻馬に乗っている人々)なら見ましたが…。





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最終更新日  2018年11月08日 11時43分00秒
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