カテゴリ:事件・裁判から法制度を考える
昨今は,高齢者に運転免許返納が勧められています。
私も,高齢な依頼者でもう運転していない方が免許を持っていたことに気づいて返納制度を教えたこともあります。 運転免許を返納すれば,当然運転はもうできません。 それに代わって,交通券を交付する、身分証として使っていた人のために運転経歴証明書を交付するなど、自治体によりますがさまざまな返納者への特典があります。 しかし,自治体にも手が届いていないように思われる一つ免許の返納の障害があります。 それは「緊急時にも運転ができない」ということです。 本当に緊急時にやむを得ず運転するという事なら、緊急避難(刑法37条)で不処罰にすればいいのではないか、とお考えの方もいるかもしれません。 実際法制度の建前からすれば、緊急避難で行けばよい、というのが模範解答でしょう。 ところが,東京高判昭和57年11月29日の事例を見ると,「緊急避難は当てにできない」のです。 この件は、無免許運転でなく飲酒運転の案件ですが,お盆だったために被告人が自宅で酒を飲んでいた所、普段から粗暴な被告人の弟が鎌を手に持って被告人宅に暴れ込んできた件でした。 被告人は外へ逃げ、一緒にいた被告人の内妻が警察に電話をしようとしたら電話線も斬られて警察に保護を求めました。 その後警察が弟を鎮めて一件落着…と思いきや,再び弟がやってきたため大慌てで車に逃げ込み隠れたものの、弟に見つかって襲い掛かってきた…という状況下で逃げるために警察署まで飲酒運転をした者でした。 被告人は飲酒運転中,弟が車で後ろから追ってきていると思ってどこにも立ち寄らずに20分近く運転を続けて警察署に駆け込み、助けを求めたのでした。 ところが、検察官はこの被告人を「飲酒運転」で起訴し、更に裁判所はこのような判断をしたのです。 「市街地に入った後は追ってきている車が本物だったのか確認することもできたし、適当な所で運転を止めて警察に電話するなどの方法をとることは不可能ではなかった。 当時は昭和57年で,携帯電話など影も形もありません。 公衆電話の緊急通報無料機能さえあったか怪しいご時世です。(判決文からは、公衆電話がこのポイントにあったという立証もされた形跡はありませんでした) なお、流石に裁判官もあまりに酷であると考えたのか、過剰避難の規定の中で刑を免除するという判決としました。 しかし,有罪であることには変わりないという判断がされたことは見逃せません。 検察官はこの件を不起訴処分や起訴猶予にもしていませんし(裁判所の事実認定と検察の事実認識がずれていた可能性はありますが)、判決文は手に入りませんでしたが地裁に至っては「こんなの過剰避難ですらない、ただの飲酒運転」と有罪判決を言い渡していました。 被告人が飲酒運転を避けるために取るべき手法は他にあった、途中から飲酒運転を避けることは不可能ではなかったという判断自体は、一理あるでしょう。 厳密に言えば、早く電話なり何なり探してそれを使うのが正しかった,とは言えます。 しかし、飲酒している状態で生命の危険を感じるほど襲われてパニックになっている状況下で正確な判断は難しかったと思われます。その中で最善の判断をすることができず、誤った判断の下に飲酒運転をする者であっても犯罪者であるというのが日本の判例という訳です。 飲酒運転より免許返納による無免許運転だけ緊急避難が認められやすくなる、とは想定できません。 こうした落ち度を理由に緊急避難を認めない(地裁判決のように過剰避難とすら認めてもらえない可能性もある)判例実務の中では、もし何らかの緊急事態が生じたと考えて車を運転したら、僅かな判断ミスを理由に無免許運転であるし、緊急避難とも言えないとされて起訴され、有罪とされるリスクを意識せざるを得ません。 必要な時に車を運転する当てにしていた家族などが旅行や入院などの一時的な理由でいなくなってしまった。 誰かが倒れてしまい一刻を争う可能性があるのに、電子機器の使用に不案内。(電子機器がどこかに行ってしまったケースもあり得る) 隣家等と個人的なつながりがなく、電話を貸してというのも難しい。(外からではいるかいないかもわからないし,貸してくれる隣家を探す時間も惜しい) 特殊詐欺の類に騙されてパニックに陥り、一刻も早く何とかしないと…と思って運転。 そんなケースで運転そのものは事故を起こしたりしていない安全なものであった場合でも「こうすればよかったから有罪」と問われる可能性が高いということになります。 検察官とて、緊急時にパニックに陥り多少の行き過ぎがあった程度であれば流石にこれは可哀想だろうと思って起訴猶予などにしている例が大半であるとは思います。もしかしたら警察が現場レベルで見て見ぬふりをしているかもしれません。 しかし、違法行為であるという建前がある以上、警察は「緊急だからいいよ」と大っぴらに言う訳には行かず、「原則ダメ」という建前になります。 弁護士だって自分のアドバイスに従った人が犯罪者になった、なんて失態どころではないですから「試験にパスする限り返納しないでおく」「返納するなら緊急時も運転できないと思え」という「安全策」なアドバイスしかできません。 免許証の返納それ自体は、私も勧めたい所です。 返納に踏み切ることができる方々は、「現在の日常生活」レベルであれば車を使わずに済む当てをつけることができる人も多いでしょう。 しかし,高齢者に起こりやすい健康などについての緊急事態、返納時にあてにしていた家族などの事情が変わり本人が運転しなければならない事態…そういったものを想定すると、 「免許を返納するときは、家族などに何かがあった緊急時にも運転ができなくなるか、それでも運転するなら刑罰を受けざるを得ないことを覚悟してほしい」 となってしまうのです。 免許返納に対してタクシー券などの一定の見返りを与える制度は良い傾向だと思います。 ただ,自治体がいかに交通費等を出してあげても、それは家庭や環境がうまく回っているときが前提で役立つもので、緊急時はカバーできません。 運転免許証の返納を推進するためには、 緊急時の運転について、例外的に運転を認める制度や運用を確立する。 というのも,重要なことではないでしょうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019年05月20日 22時10分06秒
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