カテゴリ:法律いろいろ
刑罰については、自由刑と呼ばれる自由を剥奪する刑罰があります。日本では中心的な刑罰の一つでしょう。
先日、旧来の「刑務所に入所させて受刑者に労役をさせる」懲役刑・「刑務所に入れるのみで受刑者の労役はさせない」禁固刑の二本立てから拘禁刑を導入する法改正が報じられました。 実務上、法改正がされたからと言って急激に刑務作業が衰退するというわけではなく、刑務作業をベースに、更生に向けた様々な働きかけや、更生向けプログラム受講のための刑務作業を実質免除するような対応がやりやすくなると言う程度ではないかと考えています。 改正案の条文にも、「拘禁刑に処せられた者には、改善更生を図るため、必要な作業を行わせ、又は必要な指導を行うことができる。」と規定されており、当然旧来の刑務作業も「必要な作業」とされて継続すると思います。 それでも、大きな改革であると感じています。 さて、刑罰に関する議論の中では、刑務作業の収益に対して幻想を抱いている人がかなりいるように思われます。 刑務所に入れておけば儲かるので、「犯罪被害者への弁済が終わるまで服役を継続させる制度を導入しよう」と堂々と主張する人、結構みます。 弁護士にさえ、「違憲ではない」と言った弁護士も見たことがあります。 しかし、私は合憲性云々以前の問題として、「刑務所への服役が経済的な合理性を有するものなのかどうか」と言う点をまず検討しているのかと思えてなりません。 刑務作業が儲かるのならそれでもいいのかも知れませんが、儲かりもしないならむしろ釈放して納税させた方が被害者への弁償になることにだってなりかねません。 実のところ、刑務作業というのは被害弁償としても決してあてにできるものではない、もっと言えば当てにしてはいけないと考えています。 それは犯罪者の人権がどうという問題ではなく、経済的・社会的な要請から導かれることです。 収益を被害者への弁償に充てるには、当然刑務所への服役が「収益が上がる」「国にとって儲かる」ものでなければいけません。 国庫から金を割くなら、収益抜きにして税金から金銭を出して被害者に直接給付した方がよほど簡単です。 では、刑務作業は儲かるのでしょうか。 答えは否でしょう。刑務所の収益は、令和2年の1年間で28億円にとどまっています。法務省の矯正関係経費が平成30年度予算で2373億円に達するのと比べると、桁2つの差。雀の涙と言っていいでしょう。 平成3年には130億円以上の収益があったようなので、おそらく長期的に収益が減少しているものと思われます。 そして、刑務所経費の多くは設備費や人件費であり、切り詰めようにも切り詰められません。そこを切り詰めたら受刑者の人権がどうこう以前に刑務官などの人権が問題になってしまいます。 受刑者には作業報償金が微々たるものとは言え払われますが、そんなものを切り詰めたところで、焼け石に水でしかありません。 なぜこんなに収益が低いのでしょうか。 それは刑務作業の宿命と言うべきもので、現場の努力でどうにかできるものではないし、むしろ下手に現場に頑張られると困るものです。 「収益性のある刑務作業」を準備するのは簡単ではないことを考えなければなりません。 当然受刑者は身柄を拘束されて外に出られないのですから、仕事は刑務所側で探してこなければなりません。実際法務省で募集しています。 しかも、個人の就職先レベルではなく、多数の受刑者に仕事として割り振ることができる「事業」を探してこなければいけないのですから、けっこう限定されてしまうのです。 受刑者の中には認知症で作業などやりようのない人達もいます。そういう人達が「作業でする仕事」に収益を求めるのは、かなり難しいことです。 曲がりなりにも法律の建前で「所定の作業をさせる」となっている以上、刑務所側で「儲からないから何の作業もさせない」というわけにもいかないのです。 さらに、刑務所にやってくる人々はバラバラです。 刑務所で採用面接やらスキルに応じて、「能力がないから不採用」にできるわけではありません。裁判で「こいつは刑務作業に向いてないから執行猶予」なんてことにはならないからです。 せいぜい仕事に種類があって個別の受刑者に適性があれば応じさせる程度が精一杯です。 仕事を教えようにも、スキルを事前に持っていないどころか、下手をすれば知的障害があったり、日本語が通じない受刑者もいます。 身体に障害があったり、(刑務作業と無関係な所では相当な技能を持っていても)刑務作業に役立つ技能は全く持っていない受刑者もいるわけです。受刑者時代の堀江貴文氏とか、外に出ていればとんでもない金額を稼いだでしょうが、刑務所で刑務作業をしている限り収益という視点からは知れたものです。 更に刑期が満了してしまえば釈放され、せっかく刑務作業で身につけたスキルも宝の持ち腐れとなります。 つまり、刑務作業とはろくなスキルも持たない人達が、何年も修行・熟練するようなことをせずともある程度慣れればできる作業である必要があるのです。 そんな作業に高い収益を望むのは、高望みというものです。 最低賃金に毛が生えたようなコンビニのバイトでも、覚えるべき事が非常に多く、熟練を求められるような時代に、熟練を前提としない仕事に高収益など期待することはできないご時世です。 好景気・経済成長の時代であれば、とにかく肉体労働させていれば儲かる様な仕事もあったのかも知れません。しかしそんな時代ではもうないのです。 いや、熟練度を必要としないけど収益のある仕事なら世の中にまだあるとおっしゃる方もいるかも知れません。確かに私にも心当たりがなくはありません。 しかし、ある程度の収益が得られて低難易度で事業規模もそれなり…そんな仕事はこぞって民間がやりたがること必至の事業です。 更に、人件費が安めだからと言ってあまり安値で受注すると、今度は民業圧迫という問題が生じます。 刑務所も、もっと安く受注して仕事を集めることはできなくもないのですが、それは民間の仕事を奪いかねないということで市販より少し安い程度で受注しています。 今回拘禁刑が導入されたのは、もちろん受刑者の更生を視野に入れていますが、「どうせ刑務作業などさせても収益が望めない実状、開き直って更生に振り切る余地を出したほうがいいだろう」と言う発想と無縁ではないと考えています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年06月14日 17時38分30秒
コメント(0) | コメントを書く
[法律いろいろ] カテゴリの最新記事
|
|