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カテゴリ:よもやま(その他)
日曜の夜中にNHKの英語のラジオ講座の再放送を聴いた後、そのまま何とはなしにラジオを
つけたままにして聞いていたら、日付が変わってから高校の現代国語の講座が始まった。 教材は、中島敦の山月記であった。 朗読の名調子と解説の内容に引き込まれ、思わず聞き入った。 以前読んだことがあったかもしれないが、定かではない。 印象に残ったのは、まさに中心テーマともいえる次の文章。、 「己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢 磨(せっさたくま)に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍 (ご)することも潔(いさぎよ)しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心 との所為(せい)である。己(おのれ)の珠(たま)に非(あら)ざることを惧(おそ)れる が故(ゆえ)に、敢(あえ)て刻苦して磨(みが)こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば 信ずるが故に、碌々(ろくろく)として瓦(かわら)に伍することも出来なかった。」 「人生は何事をも為(な)さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ば かりの警句を弄(ろう)しながら、事実は、才能の不足を暴露(ばくろ)するかも知れないと の卑怯(ひきょう)な危惧(きぐ)と、刻苦を厭(いと)う怠惰とが己の凡(すべ)てだった のだ。」 (山月記についてはネットで色々紹介されているので、そちらをご覧いただければと思う。) 山月記 中島敦の世界-山月記を読む これから何かを為すべき若い人向きのテーマで、現代国語の人気教材であることも頷ける。 私も読んだことがあるかもしれないと書いたが、はっきり覚えていないところからして、読ん だとしても真面目に考えなかったのであろう。 もはや中年のオヤジになってしまい、この主人公のような「胸を灼(や)かれるような悔」と いう程ではなくても、無為に過ごしてしまった年月をほろ苦い思いで振り返ることもある。 かといって振り返ってばかりの後ろ向きな気持ちだけでは、やってられない。 今から珠(たま)になることはないにしても、地道に取りくむ姿勢は持ち続けたいものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.06.30 02:29:20
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