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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2024.10.30
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テーマ:教育問題(326)
カテゴリ:教育について

《さすがに最近では、そうした杓子定規(しゃくしじょうぎ)な対応は人道にもとるという声もあり、学校長の裁量で、不登校の子どもにも卒業資格を与えることが許されるようになったという。

 しかし、それはあくまでも便宜的、緊急避難的な措置にすぎない。大検のように制度化されたものではなく、悪く言えば「ごまかし卒業」である。そのようなかたちで卒業免状を与えられても、当の生徒も親も後ろめたい気持ちしか残らないのではなかろうか。

 日本の学校教育、ことに義務教育が限界に来ているという事実は、最近になってわかったことではない。万単位に子どもたちが不登校になり、中途退学をしている現実は、何年も前からあったことだ。昭和59(1984)年、中曾根内閣が設置した臨教審(臨時教育審議会)でこの間題は論じられているから、それから数えてもすでに17年以上年月がたっている。

 こうした状況に対して、これまで何か抜本的な対応策が1つでも行われたであろうか。その答えは言うまでもない。少なくとも公的な場においては抜本的な制度改革案はつくられなかったし、それどころか真剣に討議さえされていないのが現実である。かくして、事態は悪化の一途をたどって今日に至っている》(渡部昇一『国民の教育』(産経新聞社)、pp. 13f

 見方を変えれば、「欧米に追い付け追い越せ」を目標とした教育が、欧米に追い付いた今、目標喪失し、右往左往してしまっているということだ。何事であれ、上手く行っているときは、粗(あら)の存在は問題にならない。が、一度(ひとたび)推進力が失われれば、粗が気になって仕方がなくなるのだ。

 が、教育目標が喪失された中で、不登校児童の問題を幾ら考えても、ただの弥縫策(びほうさく)にしかならないだろう。矢張り、「欧米に追い付け追い越せ」という目標に代わる新たな教育目標を設定することが先になければならない。

 欧米が作った「答え」を鵜呑みにする時代は終わり、日本が自ら問題を設定し、「答え」を創り出すことが求められているということだ。

 少し具体的に言えば、これまでのようなコツコツ真面目に働けばよいという時代から、労働人口減少も相俟(あいま)って、高い付加価値を生み出す産業構造への転換が求められている。そのためには、「知識」よりも「発想」や「知恵」といったものが尊重される教育というものが必要となってくるのではないかということだ。

《このような状況を抜本的に変え、学校教育を根底から救う道はあるのかというと、そこにはおのずから制限がある。あまりにドラスティック(=極端)な改革で、莫大な予算を必要とするものは非現実的であり、あまりに革新的な内容であるためにどんな弊害が起こるか予想がつかないようなことをやってはならない。教育においては軽はずみな「実験」は許されない。何か問題が現れた場合、その直接の被害を受けるのは当の子どもたちだからである》(同、p. 14






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Last updated  2024.10.30 20:00:11
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