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テーマ:教育問題(326)
カテゴリ:教育について
《近代教育制度が始まった明治のころには、教育の選択権が親にあることは、誰から教えられなくても皆よく理解していた。江戸時代、子どもの通う寺子屋や塾を決めるのは親であり、幕府や藩ではなかった。そのときの感覚が生きていたから、教育の主体は親であるということを誰もが疑わなかったのである。 もちろん小学校がたった1つしかない村や町は珍しくなかった。現実問題として親が教育の選択権を行使したくとも、なかなか許されないということはあったであろう。だが、それでも戦前の日本の義務教育のほうが、今日よりもずっと選択の自由があったことは間違いない》(渡部昇一『国民の教育』(産経新聞社)、pp. 16f) が、問題は、「教育の選択権」の所在がどこにあるかなのか。仮に、今、親や子供に「選択の自由」があったとしても、どこの学校を選んでも大差ないのであれば、選択権の持ち腐れである。 やはり根本問題は、公教育は平等に提供されないといけないという「平等主義の呪縛」にある。平等主義が改められない限り、選択肢のない選択権にしかならない。 「選択の自由」がないのは「社会主義」である。 《大戦突入前の日本は、すでに社会主義国家であった――こう言うと驚かれる方も多いかもしれません。大戦突入前の日本はファシストが支配して、共産主義を弾圧したんだというのが「戦後の歴史観」だからです。しかし、実際にはそんなものではありません。 大戦突入前の日本は、多くの面でナチス・ドイツの真似をしたのですが、価格統制もまた、ナチスに倣ったことの1つでした。 そのヒトラーの率いるナチスという党名は略称で、では正式名称は何かと言えば「国家社会主義ドイツ労働者党」なのです。つまりナチスというものの正体は「国家社会主義」なのです。 このナチスの思想を日本でもやろうとしたのが、大戦前の軍人であり、官僚でした。つまり、大戦に突入する前のナチス・ドイツも日本も、スターリンのソ連と同じように社会主義だったのです》(谷沢永一・渡部昇一『誰が国賊か』(ビジネス社)、pp. 121f) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.11.05 20:00:11
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