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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2024.10.31
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テーマ:教育問題(326)
カテゴリ:教育について

《とはいえ、金がかからず、しかも安全度の高い教育改革案がなくもない。たとえば、これは年来の私の持論でもあるが、今、塾と呼ばれているものをすべて公認し、現行の正式の学校との区別を撤廃するというものである》(渡部昇一『国民の教育』(産経新聞社)、p. 14

 塾を公教育機関として公認するという渡部氏の教育改革案に私も賛成する。そのことによって、画一化され、身動きが取れなくなった公教育に風穴を空けようということである。

《そのことを述べる前に、まず次のことを強調しておきたい。

 それは、教育においては教育を受ける側の選択権が、何よりも尊重されなければならないという事実である。幼いころにおいては親の選択権、長じては親と当人の選択権が尊重されるべきであるというのが教育の鉄則である》(同、pp. 14f

 現在の公教育、特に義務教育には、「選択の自由」がない。通学区域が設定され、決められた小中学校にしか通えない。そのため、児童生徒に不公平があってはならないということで、どの学校も一律同じ教育環境、教育内容が提供されないといけないということで、身動きがとれなくなってしまっているのだ。どこかの学校が抜け駆けし、良い教育を提供しようものなら、教育の平等に反するものとして総スカンを食らうことになる。かくして、どこも同じの画一的教育が提供されることになるのである。

《ところが今の教育制度では、その選択権はほとんど尊重されていない。

 なるほど大都市には私立学校があり、多少の選択の余地はある。しかし、日本の大部分の地区には公立学校しかないのが現状である。そうした地方に住む人にとっては、割り当てられた公立学校に子弟を進ませるしかない。「教育の権利」という言葉が最近はよく使われるようだが、大多数の日本人にとっては義務教育レベルの「教育の権利」は有名無実になっているわけである》(同、p. 15

 「自由」があるとは、選択できるということである。が、日本の義務教育には選択権がない。だとすれば、日本の義務教育には自由がないということになる。詰まり、日本の義務教育は、自由主義ではなく社会主義的政策でしかないということだ。

《これは戦時中の配給制度と似ている。配給制度の下では、A町内のB地区の人は、たとえば魚を買うとき、特定のCという魚屋からしか魚を買えなかった。今の学校制度も、地区によって義務教育の子どもの通う学校は決められている。「寄留(きりゅう)」という便宜手段が用いられ、学区城の適用も緩和され、狭い範囲での学校選択も最近ではようやく実現され始めるようになったが、子どもの通う学校を行政が決めるということは、戦時統制経済の時代に、魚を買う店を指定されていたのと同じ構造なのである》(同)






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Last updated  2024.10.31 20:00:13
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