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テーマ:教育問題(327)
カテゴリ:教育について
《渡部 さて、そうやって国家社会主義になった日本は昭和20年8月15日、敗戦を迎えます。 では、その敗戦によって日本から国家社会主義がなくなったか。なくなっていません。総量規制に象徴されるように、いまだに価格統制をやろうという官僚が支配しているのです。 その大きな理由は、マッカーサー司令部が日本を占領統治するうえで、日本の官僚組織をそのまま活用しようと考えたからです。日本軍は解体されましたが、日本の官僚組織は解体されなかった》(谷沢永一・渡部昇一『誰が国賊か』(ビジネス社)、p. 124) ※総量規制:1990(平成2)年3月27日に「不動産融資総量規制」という一通の通達が、大蔵省銀行局長・土田正顕の名で全国の金融機関に発せられ、これを契機としてバブルは崩壊した。 詰まり、戦時にかこつけて敷かれた社会主義体制が敗戦後も温存されてしまったということだ。 《しかも、みすみす日本を敗戦の淵に追いやっておきながら、日本の官僚はちっとも反省しなかった。統制経済は官僚にとって最も住み心地のいいシステムなんです。なにしろ、産業のあらゆる面に口が出せるのですから、これほど彼らにとって気持ちのいい話はない。 だから、戦前から今日に至るまで、西側陣営に属しながらも、日本はずっと国家社会主義をやってきたわけです》(同) ☆ 《悪魔が見るからに恐ろしげな顔をしてつねに邪悪なことを説いているのならば、大きな問題は起こらない。悪魔がこの世のものとは思えないほど端正な顔だちで甘い言葉を口にするからこそ、人々は誘惑され、地獄に堕ちるのである》(渡部昇一『国民の教育』(産経新聞社)、p. 354) 恐ろしい顔で邪悪なことを説く、誰の目にもそれと分かる悪魔は「安物の悪魔」でしかない。端正な顔立ちで甘言を弄(ろう)し、人々を地獄へと導く悪魔こそが「本物の悪魔」なのである。 《20世紀の悪魔もとても甘美で魅惑的な言説を弄してきた。そして、その芯(しん)になった言葉こそが「平等」だった。 「平等」という言葉の響きはとても美しく、それはいつの間にか基本的な人権の平等ではなく、現象的な平等に変わった。経済や社会において「平等」が実現されなければならないということで、私有財産が否定され、相続権が廃止され、さらに貧富の差をなくすために、生産手段・流通手段さえも国有化しなければならないというように進んでいったのである》(同) 頑張っても頑張らなくても「平等」な社会は、「地獄」だ。頑張っても、頑張らない者と受け取る報酬が同じではやり切れない。否、それどころか、頑張る人は、平等な社会を搔き乱す「反逆者」と見做されて、批判の的となる。結果として、誰も頑張らなくなる社会、それが「平等社会」というものなのだ。これが「地獄」でなくて何なのか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.11.06 20:00:11
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