カテゴリ:チェロキープレゼンス
ハロウィンの夜、ご近所の子供を迎えてTreat
よせばいいのに張り切って着ぐるみを着て、寒い夜に焼きそばと焼き鳥を庭で焼きました 子供達には好評でしたが案の定、風邪をひいてしまい、ダウン 治ったかと思ったら、またひき直しの繰り返し、まだ頭が重い! ブログの更新もできずレビューもためてしまいました もう少しで横綱降格、大関でしたがショップレビューでごまかしました ブログは1日100人位の閲覧者が訪れているので、申し訳ないやら情けないやら デュアン・オールマンでもアップと思いましたが、グッドな動画が見つからず私が小・中学生の時に好きだったシカゴなら、皆さんもご存知かな? シカゴ 1967年にデ・ポール大学の学生が中心になり結成、ロックのアレンジを基調とし、ジャズの要素を加味してトランペットやトロンボーンなどのブラスを前面に押し出した音楽、チェイス、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ、ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ、日本のスペクトラムなどとブラス・ロックと呼ばれた、1969年のシカゴ1のリリースから2014年のシカゴ36まで初期のブラスロック時代、74年以降のAOR路線にシフトしました メンバー ロバート・ラム(Vo.Key)、テリー・キャス(Vo.G)、ジェイムズ・バンコウ(Tb)、ウォルター・パラセイダ(wood winds)、リー・ロックネイン(Tp)、ダニー・セラフィン(Drums)、ピーター・セテラ(Vo.Bass)の7人編成がオリジナルメンバー 長いバンドの歴史の中で11人が加わっています Question 67and68 1969年リリース、彼らにとっては記念すべきデビューシングル テリー・キャスの名演奏♪作曲はロバート・ラム 25or6to4 1970年リリース、邦題は「長い夜」、ジェイムズ・バンコウのトロンボーン 世界的な大ヒットとなりました、作曲はロバート・ラム、「4時まであと25,6分だよ」 If You Leave Me Now 1976年リリース、すっかりAOR♪シカゴ初の全米チャートNo1シングル ピーター・セテラのバラード、邦題は「愛ある別れ」ですが恋人に別れを切り出された男が女々しく「行かないで!」と哀願している歌詞です Hard to Say I'm Sorry 1982年リリース、この曲で7年ぶりに全米シングルチャートで1位を記録した TOTOのメンバーも3人参加しています 邦題は『素直になれなくて』、やっぱり「すまないと思っていると、本当は君に告げたいんだ!」、「私からは素直に謝れない!」というような別れの曲 You're The Inspiration 1984年リリース、ピーター・セテラとデヴィッド・フォスターによる共作、2人の才能が結実したラブ・バラードの名曲 その後、セテラが脱退、そして次作『シカゴ18』を最後にフォスターもプロデュースから降りてしまいます Terry Alan Kath テリー・キャス 1946年1月31日アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ生まれ、シカゴの創立メンバーでギタリスト兼ボーカリストでソングライター、バンジョー、アコーディオン、ベース、ドラムスを演奏できるマルチプレーヤー ジミヘンから絶賛されたギタリストで私も彼の速弾きのファンでした 1978年1月23日、パーティーでふざけて未装填の38口径のリボルバー拳銃をこめかみに押し当て、数回トリガーを引いた、仲間に注意されるも今度は9ミリの自動拳銃を取り上げて、空の弾倉を見せてトリガーを引いた 彼は自らこめかみを撃ち抜いて即死、薬室に一発の実弾が入ったままだったのだ 32回目の誕生日の一週間前の出来事でした ブラス・ロックは1960年代後半から1970年代初頭まで人気があったが、その後衰退する、ブラス奏者のスターが現れなかったこと、多くのブラス奏者はジャズやクラシックの分野で活動し、ロックとは相容れない立場にあって人材が不足したこと、クロスオーバーやフュージョンなどの登場でブルースやブギー、ジャズなどをルーツとしたロックが退潮したことが原因 シカゴ ニュージーランド・ライブ2004 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[チェロキープレゼンス] カテゴリの最新記事
|
|