カテゴリ:チェロキープレゼンス
デヴィッド・ボウイ 本名 David Robert Haywood Jones 1947年1月8日 イギリスのロンドン南部ブリクストンに生まれる マルチミュージシャンであり、俳優としても長いキャリアを持つ、「20世紀で最も影響力のあるアーティスト」、「歴史上最も洗練された10人のミュージシャン」で1位、「歴史上最も偉大な100人のシンガー」で23位、「歴史上偉大な100組のアーティスト」に於いても39位 、ローリング・ストーンズの歌う「アンジー」は前妻でした 正月も明けて1月10日、18ヶ月の闘病の末、癌により死去 作品毎にカメレオンのようにカラーを豹変させる音楽性を持つ男であるデヴィッド・ボウイ、派手なステージと煌びやかな衣装とメイク、まだビュジュアルというジャンルはなく、当時、ジーンズに肩まで髪を伸ばした段カットの私から見ると宇宙人的存在感でございました 亡くなる2日前の69歳の誕生日にアルバム「ブラック・スター」をリリースしたばかりで、その収録曲「Lazarus」は自らの死期を悟ったファンへのメッセージを盛り込んだ内容となっています 合掌 レッツダンス 1983年4月14日リリース 14枚目のアルバム 全世界で爆発的なヒットとなり、これまでメジャーなカルト的存在だったボウイをメインストリートに押し上げた、乗りのいいリズミカルなダンスミュージックで前のブログ「伝説のギタリスト」で紹介したスティーヴィー・レイ・ヴォーン(ヘリコプター事故で死去)をリードギターに起用してブレイクのきっかけとなりました サウンド アンド ビジョン 1977年1月14日リリース 10枚目のアルバム アルバム「ロウ」の収録曲、アメリカでドラッグ浸けの日々から脱却を図るためにベルリン入りしたボウイが、ブライアン・イーノと共に創り上げた実験的作品で後半をすべてインストが占める音楽的にはクラフト・ワークやタンジェリン・ドリームを良く聴いていたボウイは、ジャーマン・ロックの影響を強く受けている ヒーローズ(英雄夢語り) 1977年10月14日リリース 11枚目のアルバム 前作「ロウ」と1979年リリースの「ロジャー(間借人)」を含めてのベルリン3部作、キング・クリムゾンのロバート・フリップ、エイドリアンブリューとも縁の深い楽曲である、ボウイはベルリンの壁の傍らで落ち合う恋人達の姿を見て、着想を得たと語っています 舞台は1942年、ジャワの捕虜収容所 大勢のイギリス兵が収容されている、坂本龍一扮するヨノイ大尉、日本軍に投降したデヴィッド・ボウイ扮するジャック・セリアズ、今思うとデヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし、内田裕也、ジョニー大倉、三上寛とすごいメンバーでした そしてテビッド・ボウイが二年待つてくれた 資金探しと併行して、主役のひとりセリアズを誰にするかが問題だった。ロバート・レッドフォードという案もあり、大島監督も当人に会ったが、これは役柄的にもムリで、次に思いついたのがデビッド・ボウイだった。美男で神秘的で気品がある・…そんな原作にあるイメージに最も近い!大島監督は一九八○年の暮れ、ニューヨークであの「エレファントマン」をブロードウエイで上演中のボウイに会った。大ヒットのこの戯曲によって歌手としてでなく、演技者として超一流になった彼は、「シナリオを読んで興奮した。すぐやりたい」と大島監督の手を握った。そしてスケジユールが決まっていないにもかかわらず、「いつでも映画のスケジュールに合わせて体を空けます」と最大限の好意ぶり。結局クランク・インは一九八二年の八月。ボウイは二年近く待っていてくれたことになる。 大の親日家で、京都に家を探していたようだが実現できなくて残念! グレン・フライ 本名 Glenn Lewis Frey 1948年11月6日 アメリカ合衆国ミシガン州デトロイトに生まれる 1970年にドン・ヘンリーと出会い、リンダ・ロンシュタットのバックアップ・ミュージシャンをつとめることをきっかけに、1970年代のウエストコースト・ロックを代表するバンド、イーグルスの創設メンバーとなった ギター、キーボード、ヴォーカルを担当、イーグルスの多くの楽曲でドン・ヘンリーは作詞を彼は作曲を受け持った “He was like a brother to me,we were family,andlike most families,there was some dysfunction,But,the bond we forget 45 years ago was never broken ,even during the 14 years that the Eagles were dissolved . We were two young men who made the pilgrimage to LosAngeles with the same dream to make our mark in the music industry and with perseverance a deep love of music.our alliance with other great musicians and our manager.Irving Azoff,we built something that has lasted longer than anyone chuld have dreamed . But,Glenn was the one who started it all.He was the sparkplug the man with the plan .He had an encyclopedic knowledge of popular music and a work ethic that wouldn't...... Don Henley 「彼は、僕にとって兄弟のような存在だった。僕らは家族だった。そして、たいていの家族がそうであるように、家庭が崩壊したときもあった。でも、45年前に僕らが築いた絆が断たれたことはない。イーグルスが14年間解散しているときでさえ」 「僕らは、音楽の世界で名を成そうという同じ夢を持ちLAへ旅した2人の若者だった――そして、根気と、音楽への深い愛、ほかの素晴らしいミュージシャンたちやマネージャー、アーヴィン・エイゾフと共に、夢見ていた以上に長く続くことになったものを築き上げた」 「でも、これをスタートしたのはグレンにほかならない。彼はスパークプラグであり、大志を抱いた男だった。ポピュラー・ミュージックに対し百科事典のような広大な知識と、終わりのない勤労意欲を持っていた。愉快で頑固で、気まぐれで寛大で、才能にあふれ意欲的だった。彼は、奥さんと子供をなにより愛していた」 「僕らは全員、ショックで、信じられず、深い悲しみに包まれている。僕らは7月末、2年間におよぶ<ヒストリー・オブ・ザ・イーグルス・ツアー>を成功裏に終えた。そして、彼は逝ってしまった。自分が運命というものを信じているのかわからないが、1970年、グレン・ルイス・フライと出会ったことが僕の人生を永久に変えたのは確かだ。そして、それがたくさんの人々の人生に影響を与えた」 「彼がいない世界で前に進み続けるなんて、とても変な気がする。でも、僕は毎日、彼が僕の人生にいたことを感謝し続ける。安らかに眠れ、僕のブラザー。君はやろうとしていたことをやり遂げた。それ以上に多くのことも」 イーグルスの創設者、グレン・フライは月曜日(1月18日)、リウマチ性関節炎、大腸炎、肺炎から生じる合併症により亡くなった。まだ67歳だった。 テイク イット イージー 1972年6月リリース デビュー曲 “気楽に考えていこう”とカントリーテイストのカラッとした楽曲、グレン・フライとジャクソン・ブラウンの共作でジャクソン・ブラウンが車でアリゾナやユタへ行ったときにウインズローで車が故障した、「ウインズローの街角に立っている」の歌詞はそこからきている 「Talk It Easy」は助けてもらった人達のバンの後部座席で書いた曲、グレンとJ.Dサウザーは当時ワンルームをシェアしていて、その部屋の真下にいたのがジャクソン、未完成だった曲にグレンが歌詞を考えたそうです テキーラ サンライズ 1973年4月リリース 2ndアルバム「ならず者」収録曲 テキーラサンライズとはテキーラをベースにオレンジとグラナディンシロップをブレンドした赤~黄のグラデーションが美しい、メキシコの日の出をイメージしたカクテル 1998年「テキーラ・サンライズ」というメル・ギブソン、カート・ラッセル、ミッシェル・ファイファーが演じる高校時代の友達同士である麻薬捜査官と麻薬組織の大物が一人の美女を愛するという犯罪と友情、恋愛が交錯するハードボイルド、その主題歌に使われました ニューキッド イン タウン 1976年12月リリース 5作目アルバム収録曲 名作アルバム「ホテル・カリフォルニア」の第1弾シングル、西海岸らしいハーモニーが素敵な曲です この曲についてグレン・フライはダリル・ホール&ジョン・オーツのことを歌っているとコメントしています 町ではまたいつもの 噂話があふれている みんな大きな期待でワクワク 誰もが君を注目しているのさ 出会う人みんな 君のことを知ってるようだ なじみの友達さえ君のこと お客さんのように扱ってるんだ TV各局がグレン・フライの訃報を伝えていたが見てひっくり返った! BGMには「ホテル・カリフォルニア」、画像はドラムを叩きながら歌うハスキーボイスのドン・ヘンリー、これでは彼が亡くなったのか?と思ってしまう イーグルスのほとんどの楽曲はドン・ヘンリーとグレン・フライが作ったが、「ホテル・カリフォルニア」はグレンはアイデアにまわり、作曲はドン・フィルダーでした 彼がリード・ヴォーカルをとったのは「テイク イット イージー」、「テキーラ・サンライズ」、「過ぎた事」、「いつわりの瞳」、「ニューキッド イン タウン」、「ハート エイク トゥナイト」 参考までにドラムを叩いてヴォーカルをとっているのはドン・ヘンリーです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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