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カテゴリ:物色動向を考える
1948年3月15日、吉田茂らが民主自由党を結党しました。
1948年暮れに日本社会党との連立政権に反対して離党した元民主党議員から成る民主クラブと、野党であった日本自由党が結成しました。 この合同によって、民主自由党は153議席を擁する議会第一党となり、3次にわたる吉田長期政権の基盤となりました。 1950年3月には民主党連立派と合流し、自由党と改称。 1955年、自由党と日本民主党が合同して自由民主党を結成しました。 日本社会党が非武装中立と護憲を唱える左派と右派が分裂するも再統一で合意した事に、保守勢力も統一政党の誕生で対抗した模様です。 左右の統一政党誕生から最初の1958年の総選挙で、自民は63%の298議席、社会党は35%の167議席を獲得しました。 このような自民優位の二大政党体制は、55年体制とも呼ばれたそうです。 自由民主党にとって最初の転機は1960年の社会党と民主党の分裂であったようで、議席数の増加につなげる事が出来たそうです。 社会党は民主社会党の離反や公明党・日本共産党の台頭で都市部の票を失って行ったとされています。 1990年代に入ると、55年体制は崩壊して連立政権の時代が到来しました。 365日程度での政権交代が、小泉内閣まで続きました。 安倍政権下での2007年参議院選挙で、自由民主党は民主党に惨敗し結党以来初めて参院での第一党から転落。 現在も続くねじれ国会とよばれる状況の元、与野党の対立が激化して政策の決定・実行スピードが遅くなりました。 ねじれ国会の状況がどのような変化を見せるのかに注目する見方もあるようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.03.14 19:41:46
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