テーマ:海外投資と国内株式(422)
カテゴリ:物色動向を考える
1972年5月26日、ニクソン大統領とブレジネフ・ソ連書記長がモスクワで「戦略兵器制限条約」に調印、軍拡競争に歯止めをかけました。
1960年代を通じて米ソ両国は核軍備の開発・生産競争を行って来ました。しかし、軍備増強に歯止めが必要となったとの認識から、両国は核兵器運搬手段に関しての制限交渉をおこなうこととなりました。 1969年よりヘルシンキで交渉が開始され、第1次戦略兵器制限交渉とも呼ばれる条約の調印に至りました。 こうして両国の弾道ミサイルの保有数の上限が定められました。 これにつづく第2次戦略兵器制限交渉では、核兵器の運搬手段の数量制限と、複数弾頭化の制限が盛り込まれました。 1979年6月18日、両国はウィーンでこの条約に調印したものの、ソ連のアフガニスタン侵攻を理由とするアメリカ議会の批准拒否により、1985年に期限切れになりました。 戦略兵器削減条約は、2009年12月5日に失効しました。 ソヴィエトの崩壊で、米ソの核兵器軍縮の動きが中断したためでした。 2011年2月5日、アメリカとロシアの間での初の軍縮条約である、第4次戦略兵器削減条約(START)が調印されました。 戦略核弾頭の保有数を1550発に削減、運搬手段の保有数を800基構に削減するものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.05.25 15:31:13
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