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カテゴリ:物色動向を考える
1965年4月24日、「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」(べ平連)が発足して、最初のデモ行進を行いました。
1965年2月7日に開始された、アメリカ軍による北ベトナムへのいわゆる「北爆」で、一般市民の死者が増えた事がマスコミで報道されると、日本でも反戦運動が始まりました。 べ平連は、60年安保の「声なき声の会」を母体に、ベストセラー作家の小田実を代表として発足され、全国に活動が広がって行きましたが、新左翼諸派、特に共労党との関係が強くなるとともにイデオロギー色が濃くなっていきました。 作家の開高健をはじめとしてこれらの左傾化を嫌い、運動から離脱していく人が増加しました。 一方、小田実ら少数の幹部はアメリカの脱走兵の逃走支援を行いましたが、その過程で逮捕者も出しました。 ウラジオストクへの定期船やソ連のスパイ活動を行う日本漁船を使って少数の脱走兵を日本からスウェーデンなどの中立国に脱出させる、非合法的なものでした。 1991年のソヴィエト崩壊により、当時のKGBがベ平連に資金的・物理的援助を与えていた事を証明するソ連共産党の機密文書が公開されました。 事務局長の吉川勇一が、KGBの日本における代表者に協力を依頼した事が始まりだったと記されていました。 結局べ平連はアメリカ軍のベトナムから全面撤退したのを受けて、1974年1月に解散しました。 1980年代以降のアメリカでは軍縮が進められて、イラク戦争後の占領政策でも民営化が進められました。 複数の民間の警備会社がイラクに入って軍とともに活動しました。 占領中のイラクでは武装集団や過激派の活動が活発化して、軍や軍属・イラクで活動する民間人やマスコミ関係者への襲撃が増加しました。 ジョージ・ブッシュ大統領は2003年にイラクの戦闘終結宣言を出しましたが、正式な終結宣言はさらに7年後の2010年にオバマ大統領が宣言しなければなりませんでした。 現在では、少数の兵力しか用いないという米英軍の戦術は、進攻作戦においては大いに役に立ったが、占領政策にはひどく不向きであったと考えられるようになりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.04.22 15:57:08
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