テーマ:海外投資と国内株式(422)
カテゴリ:物色動向を考える
1915年4月24日、イスタンブールで250人のアルメニア人独立活動家が殺害されました。
アルメニア人虐殺の始まりとされる事件であり、アルメニア共和国ではジェノサイド記念日とされています。 1905年に憲政を導入した日本が日露戦争で勝利したこと、その影響下で1906年以降隣国ペルシャのアーガージャール朝で立憲革命が起こったことがきっかけとなって、マケドニア駐留軍がスルタン・アブデュルハミト2世に反乱を起こし、スルタンに専制政治を放棄させました。 これが青年トルコ革命と呼ばれる、トルコの政治情勢の混乱の始まりとなり、1878年露土戦争後のベルリン会議で取り決められた、バルカン半島の体制が完全に崩壊するきっかけとなりました。 オーストリア・ハンガリー帝国はボスニアとヘルツェゴビナを併合し、ブルガリア自治公国が独立を宣言し、クレタ島はギリシャへの編入を宣言しました。 第一次世界大戦後にトルコは帝国から共和制に移行しますが、同時期にギリシャと国境紛争を起こしました。 希土戦争と呼ばれ、1919年から22年まで続きました。 またトルコは、旧ロシア領の現在アルメニア共和国に対して干渉を行っていました。 特に第一次世界大戦中にオスマン帝国政府によって行われた虐殺は、計画的で組織的だとされています。 これはトルコが共和国になってからも続き、犠牲者数は100〜150万人と推定されているそうです。 トルコとアルメニアとの関係改善は始まったばかりだとされています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.04.25 16:12:05
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