テーマ:海外投資と国内株式(422)
カテゴリ:物色動向を考える
1960年4月27日、李承晩韓国大統領は、全国にデモが拡大した責任で辞任、5月29日にはハワイに亡命を余儀なくされました。
四選を狙った大統領選挙に当選したものの、与党の不正工作・不正投票などが横行した事を糾弾するデモが全国に拡大しました。 マカナギー駐韓アメリカ大使が経済援助見直しの最後通告をしましたが、ギリギリまで国家元首の地位に固執しました。 李承晩の死後の評価は厳しく見方が多くなってきています。 朝鮮政治の研究家グレゴリー・ヘンダーソンが、李承晩政権は朝鮮の伝統的政治体質を引き継ぐものだと指摘した事が分岐点だったようです。 李氏朝鮮最後の王位継承者である李夫妻の帰国を認めなかった事実から、李承晩はかつての王朝朝鮮時代の王(君主)と両班(官僚=貴族)との権力争いをなぞったにすぎないという見方です。 国内の混乱と対立から目をそらせるために、反日政策を進めたとする見方もあるようです。 対日外交では、反日政策の一環である李承晩ラインの設定と竹島の編入問題が、現在も続く国境紛争のはじまりとなりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.04.27 15:46:27
コメント(0) | コメントを書く
[物色動向を考える] カテゴリの最新記事
|
|