テーマ:海外投資と国内株式(422)
カテゴリ:物色動向を考える
1954年5月7日、ディエンビエンフーのフランス軍拠点が、北ベトナム軍の攻撃で陥落しました。
この大きな敗北で、フランスはインドシナ植民地から撤退しました。 ベトナム・カンボジア・ラオスはインドシナ植民地としてフランスの支配を受けて来ましたが、第2次世界大戦時に日本軍がフランス軍を排除してベトナムを占領、日本降伏後の1945年9月にホー・チミンはベトナム独立を宣言しました。 フランスはこれを承認せずフランス軍を差し向けましたが、ヴォ・グエン・ザップ将軍はこれをゲリラ戦で迎え撃ちました。 アメリカはフランス軍に4億ドルもの資金援助を行い、中国はベトナムに資金と軍事援助を行ったので、東西冷戦の代理戦争の様相が強い戦争となりました。 戦いは制空権を握ったフランス軍が優勢でしたが、中国共産党直伝の人海戦術による夜間の歩兵の肉弾突撃と、ジャングルの秘匿野砲陣地からの正確な砲撃に苦しめられて、塹壕戦を強いられるようになりました。 フランス軍の戦死者は約2200人、捕虜は1万人以上にのぼりました。。 7月21日のジュネーブ協定にはフランス・ベトナム以外にアメリカ・イギリス・中国が出席して、インドシナからのフランス軍の全面撤退が取り決められました。 ベトナムは17度線で南北に分断され、アメリカが南ベトナムの支配を継承、これがベトナム戦争へとつづきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.05.07 15:42:39
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