テーマ:海外投資と国内株式(422)
カテゴリ:物色動向を考える
1969年5月13日、マレーシアの総選挙で躍進した中国系住民支持の民主行動党の祝勝デモと、統一マレー人国民組織のデモが衝突しました。
これは5月13日事件と言われ、マレーシア史上最悪の民族衝突事件となりました。 銃撃や放火などによって暴動発生後の数カ月間で死者196人、負傷者439人の犠牲を出す大惨事となりました。 スルタン家出身のマラヤ連邦の初代首相トウンク・アブドウル・ラーマンは、外交面ではASEAN結成を実現しましたが、国内では放任主義の民族宥和政策を実施していました。 経済的に優位な華僑系住民と、恵まれないマレー系住民との対立が激しさを増すようになりました。 マハティール・ビン・モハマドは1970年に『マレー・ジレンマ』を著し、この状況を克服するための方法を論じました。 マハティール氏は1978年に首相となり、「ルック・イースト」政策を実施してマレーシアの経済成長を促しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.05.14 18:58:25
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