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今が生死

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2019.05.06
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カテゴリ:読書
庭のシャクナゲ

先日友人が「経験と言葉」(大明堂出版)という著書(共同執筆)を送ってくれた。難しそうで中々読めずにいたが連休になったので興味があった「宗教の起源」の項を読んでみた。宗教がどうして生まれたかはいろいろな説があると思うが本書では、ウルス・アップ氏がフランツ・カフカの考え方をもとに宗教の起源について述べていた。カフカは人間の存在そのものが悪でそこから抜け出すよりどころが宗教だと述べていた。今日本では子供が少なくて困っているが、カフカによれば元々人間は罪深い(原罪)ので生まれてこない方がよいと考えており、もし生まれてきたら死が救いだと述べている。真の死を迎えるためにもがき苦しみながら生を費やしていくとのことである。人間が悪だという具体的な理由は本稿では触れられていなかったが、愚考するに人間が生きるためには他の生物を殺して食べなくてはならない。自己の欲望のために悪いことを考えたり争ったり殺したりすることもあり、人間は本然的に悪であるとみなしていたのだと思う。でも殺して食べることについてはそれをしないベジタリアンもいるし、肉や魚を食べるとき謝罪と感謝を念じている人もいて人間存在そのものが悪とは言えないと私は思う。争ったり殺したりすることも人間の本質的なものではなく、時代や環境の影響もありそれをもって人間は悪と決めつけられないと思うがキリスト教の起源は原罪にあったのだろうなと思った。
今世界にはさまざまな宗教がある。いずれの宗教も人々の幸せを公言しているが、いずれも超越者への絶対的信頼や普遍的真理への絶対的確信を信仰の基礎にしている。個人の心の中に信仰として留まっている限り、人助け等の行為により、社会的徳として称賛されるが、他の宗教や他の思想活動と対抗する局面に遭遇すると宗教は自派の絶対性を信じるゆえに自己の優越性を主張し排他的となり、闘争的となり、殺人まで犯すこともあり、宗教は恐ろしい、宗教は悪魔だ、宗教が世を滅ぼすと思う人も出てくる。
カフカの原罪論に全面的に賛同するわけではないが、人間は罪深い存在だとして謙虚に自己の研鑽に努めながら世界の平安を祈り平和実現のために献身するのが真の宗教で、自派の正当性のみ主張して自己を顧みることなく他を攻撃することのみに奔走している宗教は真の宗教ではないと考える。





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Last updated  2019.05.08 08:29:37
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