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今が生死

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2019.05.19
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カテゴリ:政治
小泉内閣の時導入した裁判員制度が10年経過した。幅広い層の市民に参加してもらい、司法の判断に市民感覚を反映させることと裁判の実態を国民に知ってもらうことを目的に導入されたが裁判員に選ばれた者には大変な負担だがそれによって果たしてより正当な判決がなされてきたか疑問である。
裁判官は大学を出て司法試験に合格してきた司法の専門家だ。その人達の判断が信用置けないとして全くの素人たちに裁判に加わってもらってどれだけ正しい判断に近づけただろうか。多少は思いやり側に傾いたり厳罰側に傾いたりしたことはあったかもしれないが、基本線は法律に基づいた決定になっている筈で裁判員が加わったためのメリットは微々たるものである。それに引き換え無差別に選ばれた裁判員のデメリットは計り知れない。最近では拘束される日数が10日以上になっている。仕事や育児などの補償をだれがしてくれるのだろうか?自分が行かなければ誰かが死んでしまう状況なら何をおいても駆けつけなければならないが裁判員制度は自分よりはるかに判断力がある人がすでにいるのに全くの素人である自分に意見を聞くために召集されるのだからたまったものではない。裁判に国民の理解を得るためだから我慢して下さいと言われても10日も自分の仕事を休まされては小さな会社だったら潰れてしまうかもしれない。真に国民のことを思っていない国会議員を選ぶとこのように全く無意味で国民が苦しむ制度を作られてしまう。判断力の正しい人を国会議員に選ばなければならないことを痛感する。この制度が犯罪抑止力になっているとも思えない。国会議員の方々は犯罪が少なくなるにはどうしたらよいかを真剣に考えてもらいたいと思う。





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Last updated  2019.05.19 22:58:56
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