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テーマ:ピアノのおけいこ(250)
カテゴリ:読書
シャクナゲ
渋沢は数多くの事業に関わり、それ以上に多くの社会事業に生涯力を尽くしてきたがそれは義務感ではなく、それが楽しかったからである。 渋沢は孔子の言葉「理解することは愛好することの深さに及ばない、愛好することは楽しむ境地の深さに及ばない」を引いて「これは趣味の極致と言ってよいだろう。自分の努めに対しては楽しむ境地がなければだめだ」と述べている。 渋沢は何か事業を起こしたり、福祉事業をしようとする時は決まって実業家や友人達に寄付を募った。寄付を言われて皆さん快く金を出してくれたわけではない。 そのことについて渋沢は「また渋沢の寄付取りかとしかめ面をした金持ちもいたことを聞いている。しかし私にとってはそんなことは全く苦痛に感じられない。なぜなら私は社会事業に力を尽くすのを何よりの楽しみにしているからだ。それがなければ寄付金を貰うために駆けずり回ることは出来ない。人に頼まれたからからとか福祉家として世間の評判を得るためくらいの動機ならとてもそんなことは出来ない」と言っていた。 要するに渋沢は関わった企業数約500,社会事業約600を全て楽しみながらやってきたというのである。 言われてみると私も時には患者さんの苦しみを感じて自分も苦しいこともあるが基本的には患者さんを診療するのが好きだし楽しい。だから今まで診療活動が続けてこられたのだと思う。 一方ピアノは10年くらい前から月に2-3回日曜日に先生について習っているが苦しい。楽しいどころではない。特に新しい曲を始める時などは何遍練習しても弾けるようにならず、眠くはなるし、こんな馬鹿みたいなことに時間を費やしていていいのだろうか?ほかの人に出来るのにこんな簡単な事も出来ない自分はよっぽどの不器用で駄目な人間なのだろうか?と思ったりする。 渋沢は何か事をする時には楽しむ境地がなければ駄目だと言っているが楽しむ境地がなかったら止めなさい、諦めなさいとは言っていない。本来なら少しも楽しんでいないなら止めた方がいいのかもしれないが私の性格がそれをさせてくれない。駄目なら駄目だからこそ、才能がないなら才能がないからこそそれにしがみつく性質があり、未だに止めていない。渋沢も「楽しくないなら止めなさい」とは言っていない。「楽しくないなら楽しくなるようにしなさい」と言っていると捉えて時々楽しいと思える時もあるのでそれを大きく膨らませてピアノが楽しいと思えるようになりたいと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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