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テーマ:台湾のことについて(133)
カテゴリ:読書
今もまだ咲いているクリスマスローズ
今回も「幻の大東亜戦争」から台湾編を紹介する。 明治28年(1895年)日清戦争の結果台湾及び澎湖諸島を日本が清国から割譲してもらい第4代台湾総統児玉源太郎は民生部門の長官として後藤新平を起用して積極的な植民地経営を始めた。 後藤は着任の翌年、明治32年に台湾銀行を設立して5年後には台湾銀行券を発行して台湾の貨幣を統一して大量の資金調達を可能にした。麻薬吸飲者には免罪符を与え、免罪符を持たない阿片吸飲者は厳罰にする方法で根絶に成功した。飲み水の病原菌汚染も酷かったので後藤は近代的な上下水道を完成させた。台湾南部は乾燥と塩害の不毛の地であったが八田輿一が烏山頭ダムを建設してこの地域を台湾有数の農業地帯に変えることに成功し、八田は現地人と共に労働に従事し、亡くなってから現在に至るまで住民に感謝されており命日には感謝と異例の祭りが行われている。 後藤は教育の普及にも尽力して中等、高等、大学教育を内地に負けないように整備していった。日本から台湾に夢と希望を持って渡ったものも多く特に警察官や教員に熱意のあるものが多く大きな影響を残してきた。例えば台湾中西部の村に配属された森川清治郎巡査はある時海の岩場で身動きの取れなくなった漁師を自ら負傷しながら助けたこともあったし、村民を思う森川は増税に反対して陳情したが聞き入れられず戒告処分にされてしまい村人に済まないと責任を感じて拳銃自殺してしまった。結果として増税は取り消され、彼を慕う村人達によって冨安宮が作られ土地神として祀られている。 台湾中西部に赴任した瀧野平四郎警部補は任地に水がなく疫病が多いことから5Kmくらい離れた所から伏流水を鉄管で引くことを計画し難工事の末現在も涸れることない通水に成功した。住民は水道の恩人として瀧野の記念碑を建て今なお感謝している。 明治29年台北に芝山巌学堂が開校された時6人の教員が赴任したが治安が悪く周囲の台湾人は危険だから避難した方が良いと勧めたが、彼らは、「死して余栄あり、実に死に甲斐あり」と逃げることなく教育に命をかけて当時の台湾教育者に大きな影響を与え台湾の経済発展の礎になった。 これらの数々をみるにつけ台湾を愛した我々の先輩たちが台湾のために命を捧げてきたことが分かる。その恩義を忘れない台湾人も素晴らしいと思った。渡邊先生のこの本によって台湾人が日本に好意的な理由がよくわかってよかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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