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今が生死

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2021.05.11
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テーマ:韓国!(17273)
カテゴリ:読書
​​​​レモンの花、昨年は3個実が生ったが今年は何個生るだろうか

同じ植民地でも台湾と朝鮮では随分違う。台湾はポルトガル人が到達する以前の歴史は殆ど知られていなかったが朝鮮の歴史はかなり古い時代から明らかになっている。文献上紀元前の記述もある。中華文明の影響を受けて文化も進んでおり高句麗、百済、新羅、の時代に百済から日本に仏教、漢字などが伝えられている。
​​​長い間大陸の唐、明、清の支配を受けてきた。1392年、明の洪武帝から高麗の武将李成桂が朝鮮王として朝鮮という国号を下賜された。15世紀の世宗の時代にはハングル文字(朝鮮文字)の制定、史書編纂、儒学振興、農業の発展、科学の振興など画期的に発展した。しかし常に唐、明、清の支配下にあり大韓帝国として完全な独立国家であったのは日清戦争後下関条約で清の支配から解かれて日韓併合までの12年間のみであった。大韓帝国になった後清の影響はなくなったが代わりにロシアが侵攻してきて日清戦争の勝利で日本が獲得した遼東半島の権益がロシアに組み込まれてしまった。これを不服として明治37年(1904年)日露戦争が勃発してこれに勝利した日本は第二次日韓条約を締結し韓国統監府をおいて大韓帝国の外交権を支配下に置いた。日本国内の世論は次第に韓国を併合すべきだという方向に進んでいたが、初代韓国統監伊藤博文は「ロシアから韓国を守るため近代化を推進し自立できるまで保護する。併合を強行することは反対である」という立場を貫いていたが、1909年10月26日韓国の独立運動家​​安重根(アンジュングン)の銃弾に倒れた。併合反対の伊藤博文が亡くなったのでその10か月後には一気に併合が成立することになった。今韓国では​安重根を建国の英雄と祭り上げて称賛しているが実際は併合を反対していた伊藤博文を殺して併合に持って行った張本人である。​
併合してから韓国に対して学校建設を進めて教育の普及に努め、農業の改革も進んで耕作地も倍増した。
東洋一の鴨緑江ダムを始め多くの水力発電所も建設し工業、経済の発展に尽くした。しかし韓国民は台湾と違ってそれらを評価しておらず感謝の気持ちも持っていない。併合に対する恨みがあるからである。伊藤博文が懸念した早急な併合は両国民の軋轢を生むという懸念の通りになってしまったということだと思う。
「歴史認識が違う」とよく言われるがお互いの国の歴史をよく学び、理解を深めていくことによって両国の友好が築かれていくのだと思う。わだかまりなく友好的に互いに交易、交流することによって極東地域の文化が栄えていくと考える。  参考:渡邊裕著「幻の大東亜戦争」

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Last updated  2021.05.11 23:34:17
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