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今が生死

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2023.02.01
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テーマ:宮沢賢治(13)
カテゴリ:読書

今菅原千恵子さんが書かれた「宮沢賢治の青春-たった一人の友 保阪嘉内をめぐって」を読んでいる。
以前552円で買った文庫本である。
今も売っているかと楽天ブックで調べたら電子書籍で660円で売っていた。紙書籍では売っていなくて古本を売っていた。古本だからさしずめ100円か200円だろうと思ったら何と19900円で約2万円だった。今は電子本の時代だが紙の本を読みたい人も多いのだなと思った。
本の内容は宮沢賢治は盛岡高等農林の2年の時1学年下の保阪嘉内と寮で同室になり無二の親友になった。賢治が3年になった時は寮を出ているが保阪嘉内と岩手山に登りお互いに目指すものが自己犠牲で一致し、賢治はまことの国の建設が目標で、嘉内は農民のパラダイス(楽園)の建設で意気投合した。同人誌アザリオを創刊し、お互いの友情を深めていた。
ところが嘉内が2年生の時アザリオに「社会と自分」という文を投稿しその中に「おい今だ、今だ、帝室を覆すの時は、ナイヒリズム」という箇所があり、いきなり退学を命じられてしまったのだ。傷心の嘉内に対し賢治は法華経を一緒にやっていこうと強く勧めるがうんと言ってもらえなかった。傷心の嘉内にはさらに母親の死がのしかかったが、その時も賢治は法華経の南無妙法蓮華経を唱えて母親の成仏を願い、共に法華経の信者として進んでいこうと折伏するが嘉内の心は動かなかった。
賢治が法華経の信者団体国柱会に入った時、嘉内が軍隊に入営しした時 二人が東京に来たので、その時に二人が何年ぶりかで直接会って話し合ったが、宗教のことで激しく言い合い、ついに喧嘩別れしてその後の音信がなくなり決別になってしまった。
生涯の友として慕っていた嘉内に去られた悲しみは想像を絶するものだったと思われるがその後賢治は立ち直り「銀河鉄道の夜」を始め嘉内に語りかけるような気持ちで次から次に童話などを書いていったという内容であった。
賢治にとっては唯一の心の友,保阪嘉内に72通の手紙を書いて法華経への帰依を勧めるが嘉内は応じなかった。その交流の様子は保阪嘉内の息子さんが宮沢賢治からの72通の手紙を公開してくれたことから明らかになり、貴重な資料である。
嘉内との友情そしてその決別が宮沢賢治が多くの作品を生む原動力になったのではないかと著者は述べているが、青春時代の友情やその蹉跌はその後の人生に大きな影響を与えるものだなと思った。





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Last updated  2023.02.02 11:39:30
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