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カテゴリ:スポーツ
侍ジャパンが14年ぶりに世界一になったのは監督、コーチ、選手が一致団結して心を合わせて戦った結果で心からおめでとう、そしてありがとうと言いたい。皆が頑張ったので誰が特別功績があるとは言えないがこのチームを纏めた栗山英樹監督を紹介したい。以下敬称を略させて頂く。
栗山は1961年4月26日東京小平市に生まれた。中学生の時地元の少年野球チームで日米野球に投手として出場してMVPをとったことがある。中学3年の時東海大相模高校のセレクションを受けに行ったときたまたま高校野球でヒーローになっていた憧れの原辰徳選手に声をかけてもらい感激した。しかし高校は創価高校に進学し、主将でエースとしてチームを牽引して頑張ったが甲子園には行けなかった。 大学は教師になることを目指して東京学芸大学に進学し硬式野球部で投手として活躍していたが右肘を痛めて野手に転向して活躍していた。大学卒業後は教師になるつもりだったが野球を好きでたまらなかったので諦めきれないでヤクルトのテストを受けたら合格できて入団した。 周りをみると皆自分より能力の高い選手ばかりで愕然とするが野球が好きだったので、夢中で練習して好打、好守、好走塁、の外野主として1軍の試合にも出してもらえるようになり、ついにはレギュラーポジションを掴んで3割、ゴールデングラブ賞も獲ったこともあるが、メニエール病という病気になり、試合中でもいきなり大地がひっくり返るようなめまいにおそわれることがしばしばあり、コンスタントに好成績をあげることが出来ずに現役生活7年で引退した。 引退後はニュースキャスターとしてプロ野球や高校野球の実況や解説をしていた。テレビ局の女子アナとか女子テニス選手などと交際する機会もあったが、それを実らせることが出来ずに現在まだ独身である。 北海道の栗山町で同じ名前ということで友好大使を要請され、2002年に栗山町に移住して林野を切り開いて「栗の樹ファーム」を作り誰でもバットを振ったり走ったりしてよい野球場を作り少年野球チームを指導したりした。 51歳の時北海道日本ハムから監督要請があり、コーチ経験がないまま監督に就任して最初の年にパリーグ優勝した。以来10年間監督をして、大谷を育て2度リーグ優勝、一度日本一にもなっている。 チームの状態はいい時もあれば悪い時もあった。最後のシーズンではずっとチームの中心選手だった中田翔選手が不振で腹いせに後輩選手に暴力を振るい、退団は必至でトレードでもどこのチームでも引き受け手はなく選手生命は終わりと思われていた。 ところが栗山監督は少年時代からあこがれていた巨人の原監督にお願いして中田選手を巨人で引き受けてもらった。この一連の流れは栗山も原もずいぶん批判された。 栗山が甘やかして育てたから中田は思いあがり、チーム内でわがまま放題の生活をしていた。暴力事件は常習的で中田は解雇されて当然なのに、原監督が栗山に頼まれて暴力選手を受け入れるのは常識がなさすぎるとずいぶん批判された。 結果としてそのシーズンは両チームとも成績不良で野球人気も地に落ちてしまった。しかし中田選手は移籍の年こそ不振だったが翌年にはかなりの活躍をしてホームランも打ったし一塁守備でゴールデングラブ賞もとった。一番喜んでいるのは栗山だと思う。本来なら球界から放逐されていただろう中田を世間の批判は覚悟のうえで巨人で拾ってもらって再度活動の場を与えることが出来たのだ。これど栗山の選手を信じる力と責任の取り方の象徴的な出来事だと思う。 「甘やかして育てたという批判はうけなければならない。でもこの10年間中田に助けられた試合は何度もあった。ここ数年は調子が出なかったが中田ならきっと他球団に移ってやってくれる」という確信があったのだと思う。 今度のWBCでも不振の村上をずっと4番か5番で使い続けた。きっといつかはやってくれると信じて使い続けて準決勝、決勝で村上はその期待に見事に答えた。でもこれは極めてまれな幸運である。信ずればそれが叶うとは限らない。 優勝する前と後では栗山の表情や色つやががらりと変わった。試合中の栗山の表情は予選、準々決勝、準決勝、決勝と進むにつれて皺が深くなり、顔色も土色になり、誰がみてもやつれてきていた。 「こんな優秀な選手ばかりを預かっているのに無様な負け方だけはしたくない」その気持ちが顔面に現れていたのだと思う。結果的に優勝できてよかった。優勝後は人が変わったように表情も変わり声も明るく各局でしゃべっていた。各選手一人一人の苦しみや喜びを自分で感ずる人間なのであの苦しそうな表情は選手全員の気持ちの集積だったのだと思う。 女子アナとの結婚不履行の時もずいぶん批判された。苦しかったと思う。しかし結婚直前になってあるスポーツ選手を好きな気持ちに気づき、こんな気持ちで結婚したら女子アナに申し訳ないと直前になって婚約破棄を申し出た。その時の彼女の苦しみがどれほどか想像できなかったくらいスポーツ選手の方に心が向いていたのだと思う。結局そのスポーツ選手には振られてしまい片思いだったのだが、青春時代の苦い思い出である。 でも女子アナに対して「こんな気持ちで結婚するのは許されないのではないか」と思ったのは栗山のまじめすぎる性格から出たことで決して不誠実な気持ちから出たことではない。 人間誰にも悲しいことの思い出はある。栗山にもヤクルト時代、ニュースキャスター時代、日ハム監督時代と悲しく苦しいことの連続だったと思う。 でも今回は満願である。今までの悲しみを吹き飛ばす幸運だったと思う。一番うれしいのは選手たちに喜びを与えることが出来たことだと思う。「国民も十分喜びましたよ。ありがとう」と言いたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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