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テーマ:「愛」・「命」(2783)
カテゴリ:読書
カリブラコア
庭に咲いているハンネマニア トルストイの晩年の作品に短編民話『人は何で生きるのか』がある。 貧乏な靴職人セミヨンが集金してその金で上着を買おうと出かけたが料金を支払ってくれる人は少なく上着も買えずにやけ酒をのんで帰宅途中お堂にもたれかかって身動きもしない裸の男に気がついた。「かかわりあうと厄介なことになる」と思い急いで通り過ぎようとしたが心の声「困っている人を見捨てて行ってしまうのか?それはいけないよ」が聞こえてきて自分の家に連れて帰った。妻のマトリョーナは激怒し 激しい夫婦喧嘩になった。「晩飯なんかありませんよ、裸の酔っぱらいをいちいち賄えるものですか」とまくしたてた。セミヨンは「お前の胸には神様はいないのかね」とやり返した。その男の惨めな様子に同情して結局妻も受け入れて靴屋の見習いとしてその裸の男ミハイルはセミヨンの家で一緒に暮らすことになった。そして6年の歳月が流れた。 ある時、裕福そうな婦人が二人の子供をつれて靴の注文にやって来た。一人の子は足を骨折した障害者だった。二人の子供の実の母親は子供が小さい時亡くなってしまい、その騒ぎの時子供が重なり合って下になった子供の足が折れてしまったとのことだ。 その後二人の孤児は今のご婦人に育てられたが、差別なく愛情込めて立派に育ててくれた。彼女の中に生きた神を見てミハイルは微笑んだ。裸の男ミハイルは実は天使だったのである。人は何で生きるのかの何でとは「何をもって」という意味で他人との交流であり、愛情であり、慈しみがあるから生きるのだとトルストイは言いたかったのだと思う。それは孤児を温かい愛情で包みながら育てることだけでなく、命と命をつないで苦しんでいる人をたすけるために生きるのだということでもあると思う。 人は何のために生きるのかの答えは難しく何通りもの答えがあり、個人によってもその答えは違ってくると思う。しかしトルストイはこの作品を通じて人は人を助け、人のお役に立つために生きるのだということを伝えたかったのだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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