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今が生死

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2024.03.10
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カテゴリ:読書

今朝の新聞に二つのノーベル賞(化学賞と平和賞)を受賞したライナス・ポーリング博士のことが載っていた。ポーリング博士は1901年2月28日にアメリカ・オレゴン州に生まれた。父が営む薬局で子供の時から薬の調合を観察して実験の真似事をしたりしていたが、9歳の時父が死亡、病弱な母と二人の妹を養うために早朝は牛乳配達、夜は映画館で映写技師の手伝いをしながら学業に励んでいたが、やがて大学の授業料が払えなくなり、それを知った教授が助手として彼を雇い、苦学の末にカリフォルニア工科大学の大学院に進学して研鑽を積み、30歳で教授に就任している。
量子力学を化学に応用した先駆者で、化学結合の仕組みを明らかにした業績で1954年にノーベル化学賞を受賞し1962年には核実験反対などの平和運動によってノーベル平和賞を受賞している。
1954年アメリカの水爆実験を機に核兵器の全面禁止を訴える「ラッセル・アインシュタイン宣言」に11人の科学者の一人として署名して、反核の集会に参加した。その後も様々な署名活動を行い、赤=共産主義者のレッテルを貼られ、弾圧の対象となり、マスコミによる避難中傷があり、大学の学科長の立場も追われた。米国上院委員会は博士を承人喚問し、署名運動を手伝った者の名前を明かにせよと責めたが、「私の署名運動を手伝った人達が何らかの仕打ちを受ける恐れがある以上、自分の身がどうなってもいいから、その人たちの氏名を明らかには出来ません」と拒否した。
1987年2月以来日本の池田大作氏と4度の対談を行い、「生命の世紀」への探求が出版され、その中で博士は「民衆を苦しめる戦争を防止するのは私達一人一人の課題です。他の誰の責任でもない。ですからとりわけ青年に対して『地上から戦争を追放することを自身の責務とせよ』と呼びかけたい」と述べているとのことなので、私は青年ではなく、これから生きる期間も短いが、ポーリング博士の心意気を学ばせて頂こうと思って、上記「生命の世紀」への探求の電子版を今注文して早速読むことにした。





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Last updated  2024.03.11 10:41:57
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