これから、不定期に「生き物たちの詩」を掲載していきます
ちっちゃい命はどうなるでしょうか?
--生き物たちの詩--
お昼回って、赤ちゃんポッサムは自分で体位を変えられるまでになった。
何よりあの、今にも死んでしまいそうな、伸びきった横向き状態からは、かろうじて脱出したみたいだ。
「スイカがいいかもしれない」
学校から、飛びかえった子供が言う。
水っぽいし甘いし、口に入れなくても、なめれるし
子供のアイデアで
急遽スイカをスライスすることに。
幸いなことにオーストラリアのスイカは年中店の棚から消えることはない。
熱帯のケアンズからタスマニアのほぼ北海道並みの気候まで、バラエティーに富んでいる。
いつもどこかでスイカが取れているに違いない。
家族のみんなが、小さな命を守るのに一生懸命だった。
夏の長い一日は、こうしてゆっくりと暮れていったのである。
いつの間にか夕日も西の丘に沈んだ。
椰子のこずえにかかる月が昨夜のなごりの雲に覆われてしまうと、
辺りはクイーンズランド特有の、けだるい夏の夜の闇におおわれる。
それは、甘く暖かく神秘の空気に満ちている。暗がりの中でも、餌を捕るものと餌にされるものとが静かなせめぎあいを繰り広げる夜の世界だ。
夜行性動物の活躍する、もうひとつの亜熱帯の庭がこの目の前の暗闇の中に広がっている。
“ひょっとすると夜のうちにお母さんポッサムが迎えにくるかもしれない”
ちょっとミステリアスでぞくぞくするような気持ちで、ポッサム赤ちゃんを入れたバケツはダンボールのふたをして窓の外の夜露の当たらない場所にそっと置かれたのであった。
ベッドにつくまで、ご飯のあともずっと、居間の窓から子供が見張っていたらしきことはまず間違いはなかった。
闇の中で目を凝らしても、人間の目には何も見えない。
“この瞬間も、暗闇の中からそっとこちらを見ているのかもしれない”
お乳を昨日まで飲んでいた赤ちゃんポッサムのことを、自分体にしがみついていた赤ちゃんのことを、お母さんポッサムがすっかり忘れているなんてあるはずがない。
少しでも赤ちゃんがその甘えた、か細い声で、おかあちゃん!と泣けば、野生のことだ、一キロ四方まで響き渡ってきっとお母さんは迎えに来てくれるだろう。
人間には聞こえないわずかな物音も、研ぎ澄まされた野生の耳には遠くからでも聞き分けられるに違いない。
そんな、期待とも願いともつかないような不安の入り乱れた気持ちで、我が家の住人はみなベッドに入って目を閉じていたのであった。つづく