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カテゴリ:物語り
動物たちが語りかけてくるオーストラリアから
--生き物たちの詩--
ジョンは我が家の風呂場を直してくれている。 彼は大抵のオーストラリア人に比べて極めて時間に正確である。
7時にくるといったら朝の7時の約束には必ずあの自分でエンジンを取り付けたというユート(小型のトラック)に道具を積んで、ガタゴト音をたててやってくる。
彼のひく図面は日本人の目から見ても正確で、人間も信用できる。それは、自分が日本で永年人と付き合って身につけてきた、他人を見る目の、言ってみれば本能みたいなところから来る確信である。 他人のものをごまかさない、自分の責任はきちんと守る。
そんな簡単なことが、幼い頃からしつけられていない人間がこの世(この国)にはなんと多いことか。
いやむしろ、オーストラリアだけが特別というわけではない。世界のほかの国だって似たようなものだ。 日本人のほうが特別なだけなのだ。われわれは昔からそうやってきちんと暮らしてきた。 日本人のもつ長所をたった一つあげよといえば、私は何よりもこの点、この美徳を取り上げるだろう。 生き物に対する優しさや、身の回りを汚さない清潔さ、うそをつかない誠実さなんかともきっと奥のほうで繋がっている。 民族の長所だとも思っている。
その日本人似の特性を顕著に持つジョンが私に言う。 "自然のものは自然に帰してやるのが、一番いいよ"と。
この赤ちゃんポッサムの今後を考えると、まさかバケツでいつまでも飼っているわけにも行くまい。 元気になったらなるべく早く母親の元に返してやらねばならない。 それがポッサムの幸せ、そしてわが子を含んだわが家庭の幸せというものだ。
当然のことだ。
それで自分は昼過ぎから木材の廃材を使って、ポッサムの小屋作りに取り掛かった。 なるべく枯れて雨にさらされた材料がいいだろう。
ジョンは手を出さない。見て通り過ぎるだけだ。 廃材を打ち合わせ、入り口に径15センチの穴を開けると、何とかちいちゃな犬小屋のようなものが出来上がった。
かれこれ2,3時間はかかった。 そしてこれを針金で、よくポッサムの来ていた木の幹にしっかりと固定するのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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