He vuelto desde Barcelona
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10月6日で、バルセロナから帰国してちょうど1年となります。しばらく、更新を停止します。帰国後も、バルサやスペインのフットボールに関するお話をしていきたいと思いましたが、ネットでしか情報も集められず、時間の制約もありバルセロナにいたころと同じように更新することができなくなりました。今後、機会があればまた皆様にご報告をしようと思います。本当にありがとうございました。Hasta luego.¡Adiós!
2008年10月05日
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フェルナンド・アロンソが古巣のルノーに復帰することになった。マクラーレンに移籍した今季は最後まで総合優勝争いに絡んだものの、チームメイトのハミルトンと対立したり、チームのスパイ疑惑に巻き込まれてチーム内で孤立したりと決してマクラーレンは居心地のいいチームではなかった。実際アロンソも「穴ぼこだらけのコースのようだった」とこの1年を振り返っている。2005、06とアロンソがルノーで連覇した時のスペイン、特に彼の出身地のオビエドの熱狂ぶりは今でも鮮明に覚えている。慣れ親しんだ古巣で再び母国を熱狂させてほしい。新たなチームメイトは「ネルシーニョ」ことネルソン・ピケJr.。父のネルソン・ピケは元チャンピオンで、私も幼いころよくその走りを見ていた。ピケJr.といい、中嶋一貴といい、昔見ていたドライバーの息子が走るのは感慨深い。ピケJr.はルノーのスパイ騒動でお騒がせしたが、今度は走りで注目したい。アロンソの去るマクラーレンにはコバライネンかデ・ラ・ロサとの話が。アロンソのおかげでついたバンコ・サンタンデールなどのスペイン系のスポンサーはどうなるかも含め、このチームの動きも注目だ。写真は2006年のルノーのブルゾンとキャップ。マイルドセブン・ブルーが懐かしい。
2007年12月10日
バルセロナに住んでいた2年前からいろいろありましたが…、2007年11月17日、入籍しました。スペインと日本で長く離れて住んでいましたが、この両国をお互い行き来し、共に旅をし、何度も話し合い、ようやくこの日を迎えました。これから先不安もありますが、ふたりで頑張っていきます。最後に協力してくれた友人T、本当にありがとう。
2007年11月17日
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21日のF1グランプリ最終戦ブラジルGP決勝。ポイントリーダーのハミルトンはスタートに失敗したうえに失速。7位に終わった。中国GP終了時ではハミルトンと7ポイント差の3位だったライコネンがこのGPで勝利し、まさかの逆転総合優勝。2年連続総合優勝のアロンソはこのGP3位で、ライコネンにわずか1ポイント及ばず、ハミルトンと同ポイントの3位に終わった。思えばアロンソにとってはさんざんな1年。ハンガリーGPでは不可解なスターティング・グリッド降格の制裁を受け、スパイ疑惑では批判の矢面に立たされたうえにチーム内で孤立。ロン・デニス代表からも冷たい対応を受け、大変だった。最後まで頑張ったが、フェラーリと違いチームが一丸となれなかったのは大きく響いただろう。来季のアロンソの動向が注目されるが、この状態ではマクラーレン残留は考えづらい。バンコ・サンタンデールやムトゥア・マドリレーニャらのスペイン系スポンサーと一緒に去り、来季他チームで実力を見せつければ、マクラーレンも失ったものの大きさを考えるのではないだろうか。来季のアロンソに期待したい。
2007年10月22日
亀田大毅の一連の騒動をこの1週間見てきた。バルセロナにいたのであまり亀田一家が有名になった経緯を知らなかったが、数年前からTBSがこの一家に目をつけ、大阪から東京のジムに移籍させ、派手な演出を交えて大きく報じていたとのことだった。そして大毅に関しては明らかに実力不足の外国人とのみ試合をさせ、今回の内藤戦で「無敗の世界王者」に仕立て上げようとしていたようだ。程度の差はあれ日本では少し活躍した若い選手をメディアがちやほやしがちだが、ここまで露骨にスターをメディアが作り上げようとするのにはあきれた。スペインでもF1のフェルナンド・アロンソ、テニスのラファエル・ナダルら若いスーパースターはいるが、彼らは世界チャンピオン級の実力を発揮したからスター扱いされるのであって、それまではメディアの扱いもそこまで大きなものでもなかった。実力あってのスター。それを考えさせられた今回の騒動だった。
2007年10月19日
バルセロナから帰国し1週間。久々の東京に戸惑いながらも、少し生活も落ち着いてきた。タイトルも「バルセロナから戻った」に変え、様子を見ながら少しずつつづっていこうと思う。バルセロナから荷物の大部分が届く。しかし全部SAL便。早く欲しいからと航空便で送った荷物はなし。どうなってんだか。 少し割れた物もあったけど、まあ仕方ない。ある程度覚悟のうえで送っているんで。しばらくはダンボールだらけの生活か。 ジョアン・ミロの絵があしらわれたバルサ皿。ミロはバルサ創立75周年記念のポスターも描いた名画家。バルサの電子ダーツ。 スペインのスポーツ紙、SPORT(スポルト)が販売していたバルサの選手、監督のボブルヘッド人形バルセロナでデジカメが壊れ、いい写真が撮れず残念。これも13日に修理に出した。日本のサービス業のすばらしい対応には、本当に頭が下がる思いだ。
2007年10月13日
24日早朝に都内某市を出発し、新宿に入院してる相方の最後の見舞いに。ぎりぎりまでねばって新宿駅から成田エクスプレスに乗り込み、時間かなり遅めの搭乗1時間前になんとか某日系航空会社のチェックインカウンターにたどり着く。Eチケットだし、いつも予約時に座席も指定してるので早くすむだろうと思ったら様子がおかしい。かなり時間がかかっている。あわてて電話をかけて確認するグランドホステス。なんとエコノミーが満席で自分の座席も他の人に割り当てたらしく、乗り継ぎ地のパリまではビジネスに乗ることになった。「2か月以上前に決めたはずの席がないなんてどういうことだ」とも思ったけど、まあいい結果になったのでよしとしよう。何度も日本-欧州間の飛行機に乗ったけど、考えもしないことだった。で、乗ってみるととにかく快適。座席は広いし、電動でかなりフラットにできる。機内食も豪華だし、最初の食事の後は10種類程度のものから好きなものを好きな時に好きなだけ食べることができる。ドリンクも豊富だし、映画も音楽も好きな時に見ることができた。下の写真はきれいに盛り付けたガトーショコラ。はっきり言って今まで飛行機の移動が苦痛で仕方なかったけど、今回ばかりは楽しめた。疲れ具合も全然今までと違い、バルセロナに着いてすぐの仕事も苦にならなかった。今度は偶然でなく楽しむために、某ドラマみたく「のしあがっちゃるけん」と勝手に心に決めた。
2007年08月25日
しばらく更新しない間にマキシ・ロペスはFCモスクワへ、ベレッチはチェルシーへ移籍。ベレッチには驚いた。24日、バルセロナへ帰還。だけど直前になって相方が入院してしまいバタバタ。かなり元気にはなってきたけど、まだまだ心配。こんな状況で離日するのが心苦しい。とにかく早くよくなってほしい。いろいろ苦労もかけたんで、今後はしっかり応えないとと思った。もう長くない今後のバルセロナ生活。充実させたい。
2007年08月24日
27日から8月24日まで帰国します。更新が滞ると思いますが、なにとぞご容赦ください。
2007年06月26日
11日から13日まで、バルセロナ近郊、モンメロにあるカタロニア・サーキットでF1・スペインGPを観戦。ずっと生でF1が見たいと思っていたが日本ではその機会に恵まれず、スペインでもなかなかチケット代が高くてちゅうちょしていたが、思い切って昨年のうちにチケットを買い、今年初めて観戦できた。決勝の13日には、このGP史上最高の14万700人もの観衆が詰めかける。前日の予選で、最後の最後でマッサ(フェラーリ)にポール・ポジションを奪われたアロンソ(マクラーレン)。母国GPで観衆のほとんどが待ち望む優勝へ、スタートにかける。緊張のスタート前。スタート直後、第1コーナーでアロンソが外からマッサを抜きにかかるも、マッサが譲らず接触。アロンソがコースアウトし、4番手に。マッサから離され、追いつく可能性がとても低くなり、一気に静かなレースになってしまう。写真は疾走するアロンソ。結局ピットで炎を上げるアクシデントがありながらも、マッサが優勝。ハミルトン(マクラーレン)が2位でアロンソは3位。スペインのファンにとってはほろ苦いGPになってしまった。それにしても、場内の大型ビジョンでマッサやハミルトン、アロンソばかり映っている間に、佐藤琢磨(スーパーアグリ)が8位に上がっていたのはびっくり。昨季は新規参入チームでさんざんだったが、今季の競争力はかなり上がっているようだ。純国産チームの初入賞を見られたことには感動した。いろいろあったこのGP。またぜひとも観戦したい。
2007年05月17日
バレンシアに来た最大の目的はLas Fallasこと火祭り。元は大工の神様であるサン・ホセの日に大工がたき火をし、そこで人形を燃やしたことに由来する。毎年、この祭りの時にはバレンシア中に大きな人形が並ぶ。下の写真は一番街中でにぎやかな、市役所広場に置かれた人形。また、街中を民族衣装を着た人たちとブラスバンドが練り歩く。下の写真は、18日にカテドラル(大聖堂)裏のビルヘン広場に置かれたマリア像に花を届けに行く女性たち。そして、19日の晩にはいっせいに人形を燃やす。午前1時に、市役所前の人形に点火。これはものすごい人手で、ちょっと見に行くのは無理だろうと思い、ホテルそばの人形を燃やすのを見に行くことに。しかし、消防車が来ないとできないということで、1時半からとなっていた。しかし、この人形、マンションの隣にあるうえ、なんと後方にはガソリンスタンド。本当にこんなとこで燃やしていいのかと不安になる。点火の準備が整い、消防車が到着。まずは周りに放水。マンションにも容赦ない。人が住んでいる部屋にもだ。どうりで人形の高さの部屋に、住人が誰も中にいないわけだ。そして花火の後、民族衣装を着た女性が点火。人形は瞬く間に炎に包まれ、この地区の祭りも終わった。下の写真は、今年の大賞に選ばれたもの。これもホテルの近所。この人形の一部は燃やされず、市内の火祭り博物館に展示される。とにかく祭りの間、バレンシアは人だらけ。中心部は歩くのもままならない。食事を取ろうにも、郊外のレストランすら予約でいっぱいで一苦労だった。さらに1日中爆竹の音がして、耳が痛くなった。それでも、美しい人形が燃えるさまは、さらなる美しさを感じさせ、来たかいがあったとしみじみ思った。
2007年03月22日
15日、バレンシアでマクラーレンの新車発表があり、アロンソも出席した。ボーダフォンがスポンサーになったが、車体の銀色のカラーリングは変わらず。しかし、白のレトロ調なレーシングスーツにはびっくり。短髪も含め、新しいアロンソの姿に見慣れるには少し時間がかかりそうだ。またアロンソ加入により、Banco Santander(バンコ・サンタンデール。銀行)、MUTUA MADRILEÑA(ムトゥア・マドリレーニャ。保険会社)のスペイン企業2社がマクラーレンのスポンサーになった。
2007年01月16日
2006年ももう終わり。最大の喜びは婚約。そしてバルサのCL制覇にも立ち会え、本当に幸せな1年だった。2007年はバルセロナでも日本でも頑張って、もっといい年にするぞ。
2006年12月31日
29日、マドリー・バラハス空港の第4ターミナル駐車場で爆破事件があった。この直前にテロ組織、バスク祖国と自由(ETA)の爆破予告があった。停戦宣言後、鳴りを潜めていたETAがまたもテロを再開したもようだ。今年は南米に格安便を就航しているエア・マドリーが破産。多くの南米人がこのクリスマス休暇に帰省できない悲劇も起きた。さらにはロンドン・ヒースロー空港発着便のテロ未遂事件も。スペインと欧州の航空産業にとって本当に受難の1年だった。
2006年12月30日
Hoy es el día inolvidable.Yo no pensaba que viajaría por Europa y Japón contigo muchas veces en este año.Además de estos,había muchas cosas contigo.Eran emocionante.¡Ojalá que esté contigo siempre!Te quiero.
2006年12月19日
矢島金太郎の年収が3兆円って・・・。もはやサラリーマンの年収じゃなくてどっかの国の予算じゃ。今はファンドマネージャーってことすら知らんかったよ。
2006年11月22日
少し前の話になるけど、10月28日に「ワールドシリーズbyルノー」という、ルノーのイベントを見るために、バルセロナ近郊、モンメロにあるカタロニア・サーキットに行ってきた。2年半バルセロナにいるが、ここに行ったのは初めてだった。最大のお目当てはもちろんルノーF1のデモ走行。さすがにフェルナンド・アロンソは来なかったが、往年の名ラリーレーサーで、レアル・マドリーの会長選に立候補の話もあったカルロス・サインツ氏が運転。畑違いのマシンにもかかわらず、華麗な走りでファンをわかせた。F1は最新マシンのみならず、懐かしいベネトン・ルノーやウィリアムズ・ルノーも展示。他に市販車やラリー車の展示も。ルノーF1チーム仕様のメガーヌがあった。さらに、普段は入れないピットガレージも開放。ガレージの上にも登ることができ、なんとも言えない喜びだった。水色と黄色に身を包んだ多くのファンが訪れたが、来年のスペインGPの時にはみんな銀色のマクラーレンのウェアに衣替えしてるのだろうか?ただ、アロンソの出身地であるアストゥーリアス州の旗の色は水色と黄色だし、来年のスタンドカラーが気になるところだ。
2006年11月03日
22日、F1最終戦ブラジルGP決勝が行われた。クラシコが行なわれたサンティアゴ・ベルナベウでも中継されたこのレース。4番手スタートのアロンソが2位でゴールし、2年連続総合優勝を、昨季と同じインテルラゴスで決めた。レース後、アロンソの出身地であるアストゥーリアス州のオビエドでは多くの人が熱狂。街の中心のアメリカ広場には多くの人が集まった。そして、現役最後のレースとなったM・シューマッハ。予選では最終アタックを走れず10番手スタート。決勝ではタイヤのパンクで一時は最下位まで落ちるも、これぞ皇帝と言わせしめる走りで4位でフィニッシュ。最後にすばらしいレースを見せてくれた。来季、アロンソはマクラーレンに移籍。今季マクラーレンは勝利なしでかなり不安だが、アロンソが立て直すと信じたい。来季、スペインGPを観に行くことを早々に決めた。
2006年10月24日
鈴鹿サーキットが来季のF1開催を断念することになった。暫定カレンダーが出たときに鈴鹿の名はなかったが、もしかしたら日本で2開催かもと期待してただけに残念だ。中嶋悟氏やアイルトン・セナ氏のころから見てる私にとったら日本GP=鈴鹿、日本のF1=ホンダなので、日本GPがトヨタ系の富士にいってしまうのは寂しい。もちろん富士も伝統あるコースだけど、富士も含めてここ数年新たに開催されるサーキットは、ヘルマン・ティルケ氏設計のものばかり。テクニカルで多くのF1ドライバーに「走りがいがある」と言わしめた鈴鹿が外れるのは、そういう意味でも物足りない。鈴鹿はまた再来年以降の開催を目指すようなので、頑張ってほしい。私は鈴鹿での日本GPを見たことがなく、それが心残りだし。
2006年09月20日
10日にフェラーリの地元、イタリアGPで勝ち、ドライバーズポイント首位のアロンソに2ポイント差に迫ったM・シューマッハが今季限りでの引退を表明した。ライコネンの来季フェラーリ入りの情報が流れていて、「ああ、やっぱり」という感じではあるが、ここ数戦鬼神のような走りを見せていただけに惜しい気もする。今季残り3戦。ここまで7度年間王者になっている去り行く皇帝と若きディフェンディング・チャンピオンの戦いから目が離せない。
2006年09月10日
3日、日本で行われていたバスケットボールW杯の決勝がスペインとギリシャの間で行われた。スペインは大黒柱のガソルが負傷欠場するも、序盤からガルバホサの3ポイントがよく決まりギリシャを圧倒。70-47でスペインは勝利。さいたまスーパーアリーナにスペイン国家が流れた。MVPはガソル。選手たちは「日本」や「一番」と書かれた日の丸鉢巻を締めて喜んだが、結構逆になってたのには笑えた。また、記念にネットを切って持って帰るのには驚いた。とにかくおめでとうと言いたい。あとはフットボール代表も頑張ってほしいのだが。
2006年09月04日
婚約しました。
2006年08月21日
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6日のF1ハンガリーGPはアロンソがリタイア。M・シューマッハが8位に終わる大波乱。そんな中、ホンダのバトンが113戦目で初優勝。そして、第3期ホンダにも初優勝をもたらした。ホンダの優勝はマクラーレン・ホンダの1992年以来14年ぶり。単独チームとしては1967年以来39年ぶりだ。今季開幕前にBARの株式を買い取り、単独チームとして参戦も不調。シーズン途中で中本修平氏をシニア・テクニカル・ディレクターにすえるなどチーム体制を変えるゴタゴタもあった。そういった逆風を乗り越え、久々の優勝。マクラーレン・ホンダの全盛時にF1を見始めた私にとって、表彰台で流れる君が代はとても感慨深いものだった。そして、本田宗一郎氏とアイルトン・セナのことが頭に浮かんだ。
2006年08月08日
しばらく更新をサボってたけど、九州の続き。ビーチ沿いのレストランからの美しい夕焼け。手軽に行けるビーチが多く、思いっきり泳ぎ、思いっきり日焼けする。直方の花火。「お仏壇のはせがわ」提供のものが一番豪華だったかも。行く途中、地名の漢字を間違って読み、恥をかく。「一蘭」のラーメン。一席一席仕切りがあるこぎれいな店舗、重箱に入ったラーメンにびっくり。観光客が多いとのことだが、うまい!福岡ヤフードーム。東北育ちの私のイーグルス初体験は、思いっきり敵地。試合前、「あぶさん」の水島新司先生による始球式。打席にあぶさんホークス入団時の監督であるイーグルス・野村監督。レボリューションイエローの風船。15年ぶりに「八木山ベニーランド」の歌を聴き感傷に浸るも、試合は8-4でホークス圧勝。イーグルス、もっと頑張れ。試合後はホークス勝利を祝う花火。そして、屋根が開き驚く。九州をこんなにじっくり回ったのは初めてだったが、大切な人が気をつかって、いろいろしてくれたおかげで、本当に楽しめたし、快適だった。¡Muchas gracias por todos!Era muy buen tiempo.Hasta pronto.
2006年08月06日
6日から日本に帰国中。12日まで関西。その後東京に来た。東京は結局滞在中晴れた日がなかった。どんより、蒸し暑い日ばかり。かつて住んでいた町なのに建物が大きく見え、以前はありえなかったのに電車の乗り換えを間違ったり、道に迷ったりした。関西では大切な人とまわった京都に、すごく落ち着きを感じた。私にとって心のふるさとのような町。外国人観光客も多く、バルセロナを少し思い出す。「わび、さび」を感じさせる日本庭園を見て感動。東京でカタルーニャ名産の発泡性ワインcava(カバ)の大手、Freixenet(フレシネ)のポスターを見て驚く。22日からはいろんな思いを込め、また違う地へ。
2006年07月21日
ドイツの思い出を書き終えたところで、5日から8月22日まで帰国します。大切な人に会える。これが一番。そして、1年半ぶりに東京に行くのも楽しみ。東京には今月12日から22日までいるけど、FC東京の試合は味スタでないようで残念。もっとも、また行くかもしれないけど。では、おそらく、しばらくの間ご無沙汰します。
2006年07月05日
さえから回ったバトンに回答【入院】○ 急性腸炎で3日間 【骨折】× 【献血】○ 【失神】○ 入院した時は気づいたら病院にいた。救急車に乗ったらしい 【風俗】○ キャバクラ等 【しゃぶしゃぶ】○ 【エスカルゴ】○ バルセロナでもポピュラー 【万引き】× 【補導】× 【女を殴る】× 【男を殴る】× 【就職】○ 【退職】○ 【転職】× 今度就職したら○か【アルバイト】○ いろいろしてる【海外旅行】○ 【ギター】×【ピアノ】○ 【バイオリン】× 【メガネ】○ 【コンタクト】○ 【オペラ鑑賞 】× 【テレビ出演】○ 【パチンコ】○ 一回でやめた 【ライヴ出演】×【合コン】○ 【北海道】○ 修学旅行【沖縄】× 最南端は熊本 【大阪】○ 【名古屋】○ 【エスカレーターを逆走】○ 【自動車の運転】○ スペインの免許も持ってるが、ペーパードライバー 【バイク運転】○ 【10kg以上減量】× 【エステ】×【交通事故】○ 自転車に乗ってて車と接触し転倒 【電車とホームの隙間に落ちる】× 【お年玉をあげる】×【一万円以上拾う】× 【一万円以上落とす】× 【徹夜で並ぶ】○ 某チケット会社窓口や国立競技場には 【金髪】×【ピアス】× 【50万円以上の買い物】× 【ローン】○ 【ラブレターをもらう】○【手術】 × 【選挙の投票】○ 住民票の都合で行けなかった時は悔しい 【イヌネコを飼う】×【一目ぼれ】×【幽体離脱】× 【前世の記憶】× 【OSの再インストール】× 【先生に殴られる】×【廊下に立たされる】× 【徒競走で一位】×【妊婦に席をゆずる】○ 【他人の子どもをしかる】○ 【20過ぎてしらふで転ぶ】○ 【コスプレ】×【ジャケ買い】× 【同棲】×【ストリート誌に載る】× 【2メートル以上の高さから落ちる】× 【ものもらい】○ バルセロナで初体験。保険はおりたが治療費は高い 【学級委員長】○【ナンパ】× 【逆ナンパ】×【ラマを表彰される】× なにそれ? 【ジャイアント白田に遭遇】× 誰? 【200Vで感電】× 【引越し】○ 15回くらいしてる。次は再び東京の予定。もし時間があれば、タカ、してみる?質問をもう一つ、レコードを聞いたことがある?
2006年05月14日
大切な人の誕生日を、ある街ですごす。街一番の大通りで、なぜかマクラーレンのF1マシンを発見。同じ通りで、次はルノーのF1マシンを発見しびっくり。このギャラリーのバーで一休み。そして、これらがある建物に連れて行くと大喜びしてくれた。Yo estaba muy contento contigo.Eran los días excelentes.¡Muchas gracias!
2006年05月09日
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約1週間の一時帰国を終え、17日にバルセロナに戻ってきた。今回の帰国は東京にはよらず、故郷のみにいた。ここをじっくり回るのは6年ぶりのことで、ずいぶんと変化があり驚いた。見たこともない店や建物が多く、きれいになった線路や駅もあった。やはり、日本の街は変化が激しい。それと、大切な人とすごく楽しく、すばらしいひと時をすごせた。ここでは内緒だが最大の目的も果たせたし、私の故郷を楽しんでくれたようだった。本当に感謝したいし、また今度は違う町でさらにすばらしい思い出を作りたい。今年生まれたばかりのおいにも、初めて対面。本当にかわいかった。伯父になったことを実感。弟に似てるなと思った。抱いた時泣かれたのには苦笑。元気に育って欲しい。そして、早く自分の子供も欲しいなとふっと思った。最後に、繁華街にあった、このツネ様のアディダスの巨大広告にびっくり。
2006年04月19日
10日から17日まで一時帰国します。14日のバルサvsビジャレアル戦は観戦しないため、レビューはありません。ご容赦のほどをよろしくお願いいたします。今回は、私と大切な人の人生に大きな影響を与える、大事な時間。楽しみであるのと同時に、気が引き締まる思い。それでも、早く一緒の時間をすごしたい。そして、幸せになりたい。では、いってきます。
2006年04月10日
12日はオサスナvsバルサの前に、いよいよ開幕したF1のバーレーンGPをテレビ観戦。フェルナンド・アロンソ(ルノー)と、ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)が最後まで大接戦を演じ、アロンソがまず1勝をあげた。今季もアロンソにはスペイン中の期待が集まる。ルノーでのラストシーズン。有終の美と、あとはスペインGPでの優勝を期待したい。アロンソとM・シューマッハの戦いの影に隠れた感はあるが、最後尾スタートのキミ・ライコネン(マクラーレン)の3位入賞、さらに新人ながらファステスト・ラップまで記録し、7位入賞を果たしたニコ・ロズベルグ(ウィリアムズ)の快走には驚いた。ライコネンは間違いなくアロンソ、M・シューマッハと優勝争いを演じるだろう。1982年の年間王者、ケケ・ロズベルグを父に持つニコ・ロズベルグの新人離れした走りは、今後も要注意だ。最後に、日本で注目を集めているというスーパーアグリ。バルセロナでもテストを行っていたが、さすがに参戦承認から1か月半で、準備不足の感は否めない。スタート15秒前にスタッフがコースから退避せず、いきなり井手有治にペナルティ・ストップ。さらに井手と佐藤琢磨が同時にピットインしたり、井手がスタッフをひきそうになったり、給油トラブルで琢磨が6度もピットインするなどトラブルだらけだった。それでも、なんとか琢磨が完走。早急な結果を求めるのはとても無理だが、1戦1戦、着実に力をつけていってほしい。
2006年03月14日
NHK教育テレビの「スペイン語講座」が面白いことをするらしい。NHKの語学講座は最近は人気タレントの起用が目立ってきたが、民放のバラエティー番組のような企画をするとは思わなかった。いい意味で、くだけている。興味深い。レギュラーの一人、太田在は、スペインですでに銀幕デビューしている。これがきっかけで、出演が決まったのだろう。その太田在出演の映画、「レアル・ザ・ムービー」は4月1日から日本でも公開される。もう、すでにR・マドリーにいない登場人物も多数だが・・・。
2006年02月10日
takaから回ってきたバトンに回答。◆告白する する。昔はてれと怖さがあって、なかなかできなかった。◆告白される 嬉しい。 ◆同性に告白される 考えたこともない。 ◆片思いで告白して振られる 落ち込む。 ◆付き合っていて振られる 立ち直れないくらい落ち込む。 ◆ラブレターをもらう もらったことないけど、嬉しいだろうな。 ◆ラブレターをあげる あげたことない。言ったほうがすっきりする。◆芸能人に恋 ない。 ◆キス する。◆駅のホームでキス する。 ◆公園でキス する。◆人前でのキスなんて平気 上2つと矛盾するけど、日本では厳しい。◆同性とキス 考えられない。◆恋人と手をつないで街を歩く 歩く。◆恋人とのプリクラをどこかに貼って過ごす 昔あったけど、今は考えられない。◆話したこともない人を好きになる ない。 ◆年上が好き 年下の方がいい。◆年下が好き 好き。◆外見重視 内面の方が大事。◆最近結婚を意識 している。◆結婚をした していない。◆子供を産んだ 産めない。◆ダメな人を好きになりやすぃ ならない。◆好きな人と温泉旅行 楽しい。◆指輪をもらう ない。指輪したことがない。 ◆指輪を贈る 贈った。 ◆恋人と「結婚しようね」と約束する している。◆恋人とのメールは欠かさず 欠かさない。1日3通は送っている。◆嫉妬深い 嫉妬することはある。「深い」かどうかは謎。 ◆二股以上した していない。◆二股以上された されていない。◆実家に恋人をつれていく 4月に帰国した際につれていく。◆好きでもない人と付き合っていた ない。◆ファンがいた いなかったと思う。◆バレンタインにチョコをあげる 男なのでない。◆バレンタインにチョコをもらう もらったことはあるし、もうすぐもらえる。◆恋人に手作りマフラーを贈る ない。◆手作りマフラーをもらう もらったことはないけど、もらったらすごく嬉しい。◆ペアルック おそろいのユニフォームでフットボール観戦はありでしょ。◆恋人色に自分を染める そうしている。◆恋人との携帯会社はおそろいが基本 ハートの絵文字を受けるために、そろえる。 ◆好きな人がいる いる。◆ほれやすい そうでもない。◆腕枕すき 自分がする。◆過去の恋人との品 ない。◆果たせてない元恋人との約束 ない。◆今までの恋人10人以上 いない。◆恋人の親と食事 まだない。でも、いずれする。◆歯ブラシを2本並べて過ごす 今は1本。でも、2本にする。◆3年以上付き合う まだないけど、もっと長いつきあいにする。◆忘れられない人 いない。◆抱きしめ好き 好き。◆ドラマのような経験 海外でのデート。◆友達の恋人を奪う ない。◆恋は活力 そういう一面はある。◆アブノーマル ではない、と思う。 ◆好きの意味がわからない わからないってことはない。◆ビビビ わからない。◆ナンパ させられたことはある。いやだった。 ◆遠距離恋愛 している。◆文通 メールが文通なら、している。◆お姫様抱っこ したことはない。 ◆ビックリプレゼント 考えたことないな。次はさえ、よろしく。
2006年02月04日
Tengo agujero en mi corazón.Tú no tienes confianza en mí.La causa es de mí pero tú no tienes que estes celosa.Yo soy fiel a ti.Yo tengo confianza en ti porque hablas conmigo siempre.Yo no pienso que hagas mal.
2006年01月23日
楽天ブログでライブドアのサービスを紹介するのはどうかと思うが、まあご勘弁を。ライブドアが提供しているSkypeを導入したが、すごい。加入者同士なら世界中どこにでも無料で通話できる。さらに、音質もいい。今まで国際電話代を払っていたのが馬鹿らしくなってくる。料金を払う必要はあるが、世界中の固定、携帯電話にかけることもできる(SkypeOutというサービス。料金表はこちら)。さらに、ウインドウズXPと最新のSkype、カメラがあればビデオ通話も可能。本当に便利な時代だ。テレビ電話は、私の小さいころはSFの世界だったのだが。
2006年01月02日
コメント(6)
前のエントリーでローマのことを書いたが、スペインで生活し始めてからイタリアに行ったのは初めて。多くの発見があった。まず、スペイン語がわかればコミュニケーションがかなりとれるということ。イタリア人はスペイン語を聞いてもかなり意味がわかるようだし、こっちも相手のイタリア語がなんとなくだがわかった。同じラテン語から派生した言葉だというだけのことはある。ただし感覚的なものだが、イタリア語はスペイン語よりカタルーニャ語に近い気がする。こういう経験はポルトガルでもあった。ただ、料理の感性はかなり違う。今回、イタリアに行って食べたかったのがスパゲティ。スペインのレストランでもあるが、はっきり言って柔らかすぎて口に合わない。米料理でも、パエリアは柔らかく煮込んでるが、イタリアのリゾットは芯がわずかに残っている。これはもう好みの違いとしか言いようがないが、やっぱりイタリア料理はイタリア人が作った方がはるかに美味しい。スペイン人の感性で作ったイタリア料理は、やはりちょっと違う。それと、ローマほどの大都市の中心部が、夜8時ごろになると人気がかなりなくなり、静まりかえるのにはびっくりした。スペインだと、これから街に繰り出そうっていう時間なのに。それと、イタリアは祝日に開いているレストランが少ない。バルセロナでは、繁華街なら開いているところが多いのだが。イタリアに行ったのはこれで3度目だったが、とてもいい経験になった。
2005年12月30日
26、27日と、思いもよらない出来事のため、急きょ地中海を渡り、ローマへ。心配事はなんとかなり、十分に観光も楽しめた。私が前にローマを訪れたのは1999年2月。その時は翌年のミレニアムに向け多くの名所は改修中だった。だから、今回は足場もシートもない、ありのままのローマを見ることができた。まずはサン・ピエトロ寺院。来たことはあるが、やっぱりでかさにびびる。で、その内部。前回は多くの場所にシートがあったので、初めてカトリックの栄華のありのままを楽しめた。その後、スペイン広場を経てトレビの泉へ。ここにはコインを投げ入れると、再びローマを訪れることができるという言い伝えがある。前回、コインを投げたら、約7年の年月を経て、再びこの地に来ることができた。最高の気分だった。このジンクスをかなえてくれ、そして至福の時を与えてくれたあの人に感謝したい。最後に、帰りのフィウミチーノ空港で発見した、カタルーニャ州の広告。外国の空港に広告とは、やるな、カタルーニャ州政府。
2005年12月28日
少し古い話題となったが、今季F1の史上最年少王者となったスペイン人パイロット、フェルナンド・アロンソ(ルノー)の2007年からのマクラーレン加入が決まった。再来年の移籍が今、発表されるなんて異例のことだ。2007年から、現在フェラーリのスポンサーのボーダフォンが、マクラーレンのスポンサーとなる。現在、アロンソはスペインの電話局Telefonica(テレフォニカ)の顔となっている。テレフォニカはMovistar(モービスター)の名で携帯電話事業を行い、ボーダフォンと激しいシェア争いをしている。また、テレフォニカはルノーのスポンサーだ。再来年からは、アロンソがボーダフォンのチームに行くため、テレフォニカの広告戦略も大きく転換せざるをえないだろう。スペインにおけるビジネスの面からも、この移籍の影響は大きい。
2005年12月26日
16日のF1最終戦中国GPで、すでに年間王者を決めているフェルナンド・アロンソ(ルノー)が優勝し、今季7勝目。コンストラクターズとの2冠を決めた。ゴール直後、アロンソはチーム無線で「We are the champions」を熱唱。レース後、ルノーのピットガレージは、多くのスペイン人ファンも押しかけ大騒ぎとなっていた。レース後、スペインでF1中継を行っているtelecinco(テレシンコ)が、今季の名場面を放送。視聴者アンケートで、最も得票を集めた今季のベストレースは、日本GPだった。130Rと、ゴール前の直線で2度にわたりアロンソがミハエル・シューマッハ(フェラーリ)をかわしたシーンは、強烈に世代交代を印象づけるものだったし、思わず納得した。すばらしい王者が出たシーズンに、その王者の母国に住んでいたということで、私にとっても忘れられないシーズンとなった。おめでとう。そしてありがとう、アロンソ!
2005年10月16日
9日はF1日本グランプリ。日本とスペインの時差は7時間あり、前日の夜更かしにもかかわらず、朝6時過ぎには起き、7時からのレースに備えた。鈴鹿は長い直線がある欧州のコースと違い、複雑なカーブが連続するテクニカルなコースで、パイロットたちにはやりがいがあるという。8日の予選中の大雨の影響で、フェルナンド・アロンソ(ルノー)は16番手、ルノーとコンストラクターズポイントを争うマクラーレンのキミ・ライコネンは17番手、フアン・パブロ・モントーヤが18番手という信じがたい位置からのスタートとなった。1周目、いきなりモントーヤがクラッシュ。セーフティーカーが入る。この時点で、なんとアロンソは8台抜いて8位というとんでもない位置に。セーフティーカーが出た後、アロンソは高速コーナー130Rでミハエル・シューマッハ(フェラーリ)をかわすなど健闘したが、3位。トップを快走し続けた3番手スタートのジャンカルロ・フィジケラ(ルノー)はファイナル・ラップでなんと17番手スタートだったライコネンに抜かれ2位。ライコネンが驚異の16台抜きで優勝した。しかし、2位、3位を確保したことで、ルノーのポイントは176ポイントとなり、マクラーレンを2ポイント差で抑えトップになった。残念というか、あきれてしまったのが佐藤琢磨(BAR)。5番手スタートながら1周目の第1コーナーでルーベンス・バリチェロ(フェラーリ)と一緒にコースアウト。さらに、ヤルノ・トゥルーリ(トヨタ)に追突。琢磨は13位でゴールしたが、成績抹消の処分が下った。欧州のサーキットに比べ、圧倒的に日の丸が多く、BARグッズに身を包み、名前入りのビッグフラッグと巨大な「RAISING SUN」と書かれた日の丸まで用意してくれた地元のファンの期待を完全に裏切ってしまった。スペインで中継していたTelecinco(テレシンコ)の実況、解説陣もあきれかえっていた。来季のシートが決まっていない琢磨。最終戦の中国GPでいいところを見せられるだろうか。
2005年10月10日
F1ルノーのスペイン人ドライバー、フェルナンド・アロンソが25日のブラジルGPで3位入賞。スペイン人初の年間王者となった。さらに、24歳1か月27日での王座は史上最年少記録。1972年にエマーソン・フィッティパルディ(ブラジル、ロータス)が記録した25歳8か月29日を33年ぶりに塗り替えた。昨日、今日と、スペインの話題はこの24歳の若者一色。テレビの視聴者は1355万4000人にものぼった。特に、アロンソの出身地であるスペイン北西部、アストゥーリアス州の人々の喜びは大きく、州都オビエドではアメリカ広場にみんなが集まり喜んだ。この1年で、ずいぶん水色地に黄色の十字のアストゥーリアス州旗を見た気がする。前述したが、本当に最近の若いスペイン人アスリートの活躍はすさまじいものがある。F1中継をしているテレビ局、telecinco(テレシンコ)が、各界の著名人のアロンソへの祝福コメントを流していたが、その中にスペイン代表のルイス・アラゴネス監督のものもあった。「フットボール界にもこんな若者が出てこないかな」と思っていたのではないだろうか。とにかく、おめでとう、アロンソ!
2005年09月26日
ダイエーの創業者で福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)オーナーだった、中内いさお氏(いさおは工に刀)が19日、亡くなられた。83歳だった。私はホークスファンではないし、九州に縁もないが、中内氏とダイエー、そしてホークスに対してはいろいろな思いがある。私が子供ころのバブル時代、日本で最も輝いていた企業のひとつがダイエーだった。小売業のトップを走り、リクルートやホークスを買収。私の住んでいた町の中心にあったダイエーはいつも大勢の人でにぎわっていた。2年前、7年ぶりにその町に行ったら、すでにその建物にはダイエーではなく、別の店舗が入っていて、時代の流れを感じた。ホークスを買収後、球団を大阪から福岡に移転し、ドーム球場建設や根本陸夫氏(故人)や王貞治監督ら優秀な人材を集めるなどし、球界屈指の強豪チームを作り上げた。その福岡ダイエーホークスも晩年は親会社同様、オフには毎年のように騒動が起き、ソフトバンクに売却された。私が日本で最後に観たプロ野球の試合は、2003年9月30日の千葉ロッテマリーンズvs福岡ダイエーホークス。ホークスがパリーグ優勝を決めた試合だった。このとき、中内氏が千葉マリンスタジアムを訪れ、試合後に王監督とグラウンドで握手をしたシーンをまだ強烈に覚えている。ほんの2年前のことで、今回の死去のニュースが私には信じがたかった。そして、その後、私の家の向かいのダイエーでは優勝セールが始まった。近くのホークスナインが泊まる系列ホテルではビールかけ。日本での最後の家の近くにダイエーと系列ホテルがあったのも何かの縁だろう。一代で大企業を作り上げた希代の起業家。ご冥福をお祈りいたします。
2005年09月20日
訳あって16日から19日までとある所に旅に出ていた。たった今戻ってきたが、やはりバルセロナの我が家は落ち着く。この旅については20日のスーペルコパが終わってから語ろうと思う。追記加地さん代表初ゴール!試合結果は新聞で知っていたけど、得点経過がわからなかったのでびっくり。遅ればせながら、おめでとう!加地さん!
2005年08月19日
23日に、関東地方で地震があったとのこと。被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。東京は私にとって、とても思い出深い街で心が痛いです。1日も早い復旧を祈っております。
2005年07月24日
7日にロンドンで起こったテロはスペインでも大きく報道されている。私は思わず、昨年3月11日のマドリーでの国鉄爆破テロを思い出した。当時、バルセロナに来たばかりの私は大きな衝撃を受けた。そして、翌日、正午にみんな路上に出て黙祷をささげ、夜、街の中心に身動きができないほどの人が集まり追悼集会を行ったのには感動した。普段はいがみあってるマドリーの人たちが受けた痛みを共有しようとする考え方にだ。バルセロナだけでなく、スペイン全国で同じような集会が行われた。地域対立の少ない日本で、地下鉄サリン事件や阪神大震災のときにこんな全国規模の動きはなかったわけで、このときはスペイン人を心底尊敬した。ロンドンのテロもアルカイダの首謀と見られている。アルカイダのボス、ビンラディンはなぜかアーセナルが好きらしく、ハイバリーに姿を見せたこともあるらしい。そんな男が、好きなクラブのホームタウンでテロをするというのも恐ろしい。多くのアーセナル・ファンも被害を受けたであろうに。マドリーでは3・11以降も、ETA(バスク祖国と自由)によるテロがしばしば起こっている。どんな主義主張も、暴力によってなされる事だけは許せない。
2005年07月08日