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2007年03月25日
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カテゴリ:内なる子ども

 久々にブログを書いてます。

 最近の自分のテーマは『生きる権利』についてです。

 何故そのようなことを感じているかというと

 母、妹の関係性が、実際職場での人と接する距離感の影響を受けていることに
 気が付いたからです。



 私は北海道から東京に移住するときに

 今のパートナーと結婚するつもりで旅立ちましたし
 
 今もそのために新居探しなどもしています。

 北海道を離れる前、まで約2年母との関係性について真剣に向き合いました。

 私はあまりにも辛くて、催眠療法という潜在意識を見る手法で

 自分の心の状況を見つめ直しました。

 そして自分のやりたいことは何か?というテーマでコーチングも同時に継続しました。

 お金もエネルギーも時間も、これからを生きた心地で生きられるよう

 自己の精算、自己の生き直し、見つめ直しに使いました。


 
 そして北海道を離れるとき、この集結の結果が

 母は私のことを理解してくれたんだなぁと

 心から始めて思え涙を流さずには居られない別れの日を向かえ

 東京に来たのですが・・・



 やはり、一度母に対して心から尊敬し、理解を得られたと実感したり
 感動を得ても

 それがずーっと継続するわけではないということも実感しました。

 もちろんそれの感動も事実だったということも受け止めつつですが。



 母だって心のリズムがある。娘が北海道を離れるのだから

 精一杯の心を高めて、私を受け入れ、尊重し別れを告げてくれたのだろう。

 でもその心の持ち様は、持続する可能性もあるけれど

 持続しない可能性もある。

 その選択は母自身がすることなのだ。

 私がその選択を支えるということは不本意なのです。
 
 でもそれを今まで気が付かずに依存という支え方をしていたと思います。



 母が私に支えを期待して、待っていて、その心を持続することは

 本当の意味での選択ではないと想うのです。

 (母は時々私が言ったからそういう行動をしたといいます。
  そして、私がその言った意見から気持ちが変化したりすると
  そういう行動をしなきゃよかったと私に訴えます。)

 また私が、自分をないがしろにしてまで

 母のことを心配して、寄り添って、向かい合っていくという行為は

 一見支えあって、涙ぐましい母と子の愛情物語かもしれないが

 実はお互いの人間という権利=生きている境界が

 曖昧で、心がお互いに交差し、融合し、影響しあう不安定な関係でもあることに

 気が付いた。



 それはパートナーという血縁関係がないひとが間に入って

 初めて目が覚め、鱗がおち客観的に見れるように

 なったようなのだ。



 母は話を聴いてもらいたくて、寂しくて苦しくて悲しくて仕方がないとき

 電話が繋がると、相手がしゃべる間も与えられず、電話を切るタイミングも

 与えないほど、せき止められない言葉をずーっト話し続けるくらい

 心の話が流れでてくる。不安が言葉を暴走させせきとめられない言葉が

 人を傷つけたり、深いな想いにさせる念が言葉に入って

 とても、重たくなるように感じる。きっと、自分でもどうすることも出来ないのだろう。

 でもその話をただ聴いてあげることが

 母のためで、母に寄り添って、母を想うということではないことに

 初めて気が付いた。

 たとえ、荒治療でも、自分の境界が犯され

 不快に、気持ちが悪くなるような状態に侵害された場合は

 相手の話をストップさせ電話を切れるような

 関係性でないと、真の自立した人間同士の関係ではないのだ。

 母と子にも人間同士の権利を尊重しあう関係は例外ではなく

 存在する。これが事実だと最近想うのだ。


 嫌われることを恐れて行動していた

 けれども自分をそのぶんないがしろにして

 自分を殺していた。殺していたことにも気がつけなかったくらい

 自分の権利を感じられなかったのだ。



 私は人間の権利というのが何かも解らず過してきました。

 自己を侵害されたと想うのならば

 人はそれを訴えて、怒ったり、戦ったりしてもいいの想うのだ。

 

 真の正義はいい人ではない

 理不尽と想うことに立ち向かい

 時には戦うことができるか?!

 それを行動することが

 とても大切なことのように想う。



 
 この気付きを

 日常生活の人間関係でもちゃんと使えたのなら

 たとえ怒りを表現しても

 それはまっとうなことだと思う。

 そういう人に私はなりたい。
 

 





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Last updated  2007年03月25日 19時59分37秒
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