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テーマ:心のかたち、人のかたち(951)
カテゴリ:my way
最近とても辛かった。
自分からわき出る怒りを無きものとすることは 出来なかった。 怒っている理由も今に焦点をあてて冷静になっても そこに在るのだ。 怒りを私はないがしろには出来ない。 私の大切な一部です。 でも、その怒りを、原因者にぶつけても 大いなるものに慰められ、抱きしめられ、受け入れられるどころか 怒りが、新たな傷を生む場合もあること まるで、自分が子供の時に親の怒りに震えていた記憶と同様 切実に受け止めています。 それでは傷の伝染で、代々を辿ることになると それはイヤなので、せめて私はと そして私は怒りを扱える専門家を探し 専門家にアドバイスを貰いに また怒りの扱い方を日常にどう対策したらいいかを 教えてもらおうと 今日は大分前から有休をとって、備えていた日でした。 怒りの扱い方を学びにいける!と 心はムカムカでごろごろで でも、希望をもってと、複雑な気持ちで会場に向かいました。 そしたら、最短距離ルートの地下鉄が発車の見通しがたたなく。。。 焦りに焦って、違うルートで駆け込むことになり 間に合わなくなりそうなので、会場受付に電話をしました。 そしたら 『陽花さん。怒りのワークは昨日だったんですよ。お待ちしていて ご連絡も差し上げたんですよ』 といわれました・・・?!?! 何が起きたかわからずぼう然となりました。 こんなことは初めてでした。 でも勘違いしたとは言え、連絡も出来ないような状況で 自分に原因が在ったのです。 わたしは、しょうがないなと、諦め、謝りつつ でも、どうしたらよいですか?とその方に相談しました。 そしたら電話口では 『楽しみにしていらしたのに、ショックですね』 といってくださり、その言葉があまりにも予想外に 心に染みてきて、地下鉄のホームで泣きました。 そうです。 反省はして 次ぎにどうするかを考えること無意識に私はしていました。 でも一番大切なこと 気がつかなかったけど 置き去りにしていました。 『私はショックで今とても悲しい』ということ そしてこれはおそらく昔から、出来なかったのです。 そんなことを感じられる安全な環境が無く 感じ無いほうが安全の環境だったのです。 自分の心のうちを見せることはとても危険な環境でした。 私は今を悲しむ暇が無かったし、出来なかったし 今もそれを知らずにやっていて でも、今は悲しんで大丈夫なんだということを 電話受付の方に教えて頂きました。 その方がそういってくれなければ 私は、『申し訳なかった。』『私が悪かった。』と想いながらも ただ、がっかりして、ぼう然として帰路に向かっただけでしょう。 この受付のお電話の方にとても救われました。 ワークにいけなくても キャンセル料金だけとられようとも それよりも何よりも 私は今日、このお電話の方と一瞬繋がって 心から悲しみを認めてもらえたことに 感謝します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年12月14日 19時25分00秒
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