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三田のいのしし 見て歩き日記

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2010年09月06日
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テーマ:生涯学習(293)
カテゴリ:広く・深く・学ぶ

月 日  9月4日(土)              10:00~11:30
場 所  湊川短期大学

テ-マ  「"藍・本庄"の豊かな自然と地域の暮らし」

講 師  前三田市文化財審議委員・相愛大学準教授 勝本清弘氏
      勝本先生
      勝本先生と受講生

勝本先生のご講演の要旨
パ-ト1  この地区にある池に注目して、大別して3つの形態をご説明頂き、理解が進み
            ました。
        私の祖先なども場所こそ違いますが、山麓の池と小川を堰き止めた小池を
            併用していたようで ぐっと身近に感じました。

パ-ト2   駒宇佐八幡宮の「百石踊り」について
         「水」への願い=雨乞いから始まった「百石踊り」の観賞と考察
        文字通り身振り手振りを交えて歌い、解説頂きました。
        私たちが畑をお借りしている大原地区には用水用のため池が沢山ありま
             した、今年のように 雨の降らない年でも全く水に困っておりませんが、昔
            コメの生産がすべてであった時代に水の確保がいかに大切か、その祖先の
            ご苦労をしのびこの踊りや関連すり県下の踊りなどについて触れていただき
             ました。


パ-ト3  JR藍本駅近くにある「酒滴神社」の山門? 「隋身門」に掲げられている
              「算額」について

           1. 算額を掲げた方:資料により名前に違いあり。
                下垣内市左衛門正矩 (桑原秀夫氏)(しもかいちいちざえもん)
          下垣内市左衛門實一 (勝本氏が古い写本で発見)
                 下家地市右衛門   (三田市旧版)
        知る人ぞ知るで、大変著名であったので、研究者や蔵書、写本などにより
             その名前の差異が見られるらしい。

      2. 「算額}を掲げた年: 文化8年(1811年) 徳川将軍家斉の時代
        徳川幕府は役人へ諸経費の節約について、意見をていしゅつさせたらしい

      3. 現在隋身門に掲げられているものは復元品だそうですが、きれいで
        吃驚 します。
         毎年の桜ウオ-キングの際、この隋身門の前を通りますので、是非一度
               ご覧願います
         (さんだのしのしい)

      4. 下垣内左衛門正矩についての身分などのご紹介は具体的にはりませんで
               したが、いわば中堅階級の身分にもかかわらず、素晴らしい数学研究家
               であった・・・要旨。

算額
酒滴神社隋身門に掲げられた算額の復元品 
頭上の比較的低い位置に掲示されているので驚きます。 

NHKの番組で、今日の解説にも表れました”和算”に関して、江戸のいわば和算の家庭教師のような者が地方に出かけて巡回しながら高低さまざまなレベルの数学を教える。
また、地方の熱心な研究家の姿を織り交ぜて劇化して提示してくれました。

私の祖先の伝承によりますと、土佐の四万十町のある農家であった我が家などへも、様々な巡回者が来て、宿泊をかさねたようですが、江戸時代などはこのような巡回者による知識の伝播が予想以上に強かったのではないでしょうか。

もっとも我が家の場合は、どうしようもない祖先が縁台将棋的な将棋に熱中して(たぶん巡回中の先生にやらこめられた)庭先に乾燥させているモミに夕立が来ても始末を忘れている。
あわてて飛んで帰って始末する祖母たち。
こんな構図のようでしたが、私が子供のころまでは巡回者にいろいろな物語をしてもらいました。(昭和10年代まで)


この三田市の藍・本庄地区でもそんな巡回者も多くて、アルバイト料を稼ぎながら熱心に教える先生と天才的な弟子が居たことでしょうね

勝本先生のご講演並びに今回の市民大学全体を通じての感想:
私にとって特筆大だったのは、上掲の下垣内左衛門正矩の算額についてだった。
今回の三田市民大学のチラシが新聞に折り込まれてあったのを見て、きっとこの算額について紹介されるであろうと思いました。
実際、その通りの形で勝本先生に取り上げていただきましたので、感謝をこめて拝聴しました。
三田市の発展へのアプロ-チは一筋縄では参らないでしょうが、これからもご尽力をお願いします。

          






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最終更新日  2010年09月06日 14時38分11秒
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