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三田のいのしし 見て歩き日記

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2011年03月29日
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テーマ:生涯学習(293)
カテゴリ:広く・深く・学ぶ

神社巡りと神社境内巡り

今年に入ってから近隣の神社巡りが目立って多くなりました。

神社の建て方とその構造物に施された彫刻に強く興味を感じたからです。

日光東照宮、東大寺など日本を代表する建物でなくても、その建て方は素人目に

見てもかなり高い本質的なレベルであると思います。

三田市立高齢者大学・大学院【郷土史コ-ス】を選びましたが、おおよそ25,000年

前からこの三田地域に居住していた皆が何によって生活し、何にすがって心の安定

を得てきたか?

そこに神様と呼ばれる存在が浮かび上がってきた感じであります。

そんな雰囲気を感じますので、ブログを書くに際しても誤りを可能な限り減らす・・・

そんな緊張を保ちつつ、時間があれば神社へ出かける事になります。


 (1)神社の建物を観察しつつ、その歴史や祭神を調べる。

    三輪神社、三田天満神社、南ヶ丘・大歳神社、大原・大歳神社

    最近参詣できていないがもっとも楽しみにしている神社→ 三田市貴志 

    御霊(みたま)神社など

    もっと時間が出来れば、木器の天満神社、小柿の高売布神社まどを回って

    みたいが、全部で53社あるそうです。


 (2)今一つは、最近意識しだしたことですが、ある神社の境内をその気になって

    見回すと、そこには数多くの祠が併設されております。

       
 (3)ここにその例として、三輪神社境内の祠の例を写真でご理解頂きたいと

    思っております。

    少なくとも10の社(やしろ)があります。

    その写真の紹介 境内で拝殿に向かって左側

      三輪の祠10の祠が並んでいる】

    この写真には入っておりませんが、竈の神様と思われる「石の祠」の右隣に、

    やはり石で出来たご神体?があります。

    不確かな推理では失礼にあたるので写真をそのまま載せます

     遥拝天満宮遥拝
     左側には合計11の社があることになります。

     ご本殿の右横にも、ご本殿に次ぐ大きさの祠で【大歳大神】の祠があります。

      大歳宮大歳宮
    ずいぶん大きな祠です
  
 (4)  一連の写真撮影の際気が付きましたが、いずれの神社もご本殿の後ろは綺  

    麗に清掃されそこが巡拝の経路として、→で示されていることです

    、神社の後から巡回礼拝の指定?がありました。

     後日この不思議も神官にお尋ねしたい点です。

    


 (5) 大歳神社(大歳大神)は、三田にとってどんな意味があったか。

     今回、神社巡りをしながら、その疑問をインタ-ネット検索で押さえていくうち

     に,ある資料に出合いました。

     それにによりますと、兵庫県には380社(やしろ)以上の大歳神社がある

     ようです。

     何故か

     そこに雄大な歴史の歩みがありそうです。

     大歳神社の祭神であります大歳大神は、出雲系?だそうで、昔々は関西以

     西で広く信仰されており、早い話がこの三田も今ある53社の多くは、

     昔は大歳大神が主祭神出会った可能性があります。

     たとえば前述の三田天満神社や三輪神社など必ずそこに大歳大神が祀ら

     れております。

     いまもこの地にその痕跡が残り、生活の糧としていきづいているのではない

      でしょうか。

     尚、大歳の歳は=年=穀物(稲)であって、そこに昔の生活のカギを握って

     いた食物、稲に対する思いが集中していて、だから稲=歳としてすべての

     住人が祀ったんだと、述べておられる方もいらっしゃいます

     昔、中国でも1年の初めは旧暦の10月か11月頃で、そこに作物の植え付

     けがとじの初めであるから、その頃が年始だったようです。

     (紀元前の秦の始皇帝の頃、暦の研究は想像以上に熱心かつ正確であっ

      たようです

     関西以西の昔はこの考え方が流れていたかもしれませんね。

今後はこんな情報群を調べながら市内を歩きたいとねがっております。

 


 






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最終更新日  2011年03月29日 09時59分34秒
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