5月18日(金)
金禅寺の三重宝篋印塔 拝見の感想
国指定重要文化財
北朝年号 貞和5年(1349)建立 室町幕府 足利尊氏の時代
大変貴重な宝篋印塔と伝えられていたので、拝観と写真撮影に出向きました。
本堂左横に建立されておりますが、その塔身には何か坐像が見えます。
1. 阿弥陀如来です。
上の写真の塔身の部分です。
この面(西)にも種子(梵字)を刻印される例が多いそうです。
その点ここは3種子1坐像と言う珍しい例だそうです。
2. 右横の面から梵字の種子で、サ(観音)、ウ-ン(アシュク如来)、
アク(不空成就如来)と刻印されておりました。
梵字であることと660年以上経過していて、私には正確には読めま
せんでした。
梵字(種子) 例
阿弥陀坐像から本堂を眺めた場合、左側面は、塔身では北に当たり
種子アク(不空成就如来)
種子アク(不空成就如来)が、薬研彫りで刻印されていて、この1字で
けで、彫刻された仏様の像と同じ働きがあるとされております。
3 ご覧のように塔身が三重になっていることが貴重だそうです。
下に三田・興福寺の宝篋印塔を載せますのでご覧ください。
1重です。 2重が多いとの情報も見ました。
4. 元々宝篋印塔は、宝篋印陀羅尼経を納めた石塔だったが、鎌倉時
代頃から、慕塔や供養塔として建立されるようになったらしい。
大應山金禅寺の山門
山門左側に「不許葷酒入山門」の石柱あり。
奥の本堂左縁側に、三重宝篋印塔が少し見えております。
このお寺さんと三重宝篋印塔についてはネット検索なども見られま
す。
奈良朝の時代行基和尚の手で建立されたこのお寺は、その後、廃寺。江戸時代に再興。
不確かな推測ですが、近くにある豊中稲荷神社など神社仏閣が織田信長の命令で焼き払われた歴史があるそうですのでこのお寺も被害を受け、何らかの理由で江戸時代まで再建されなかったのかもしれませんね。
ここから先は、長くなりくどいかもしれませんので、特にご興味をお持ちの方にお勧めします。
そもそも宝篋印塔とは:
1)その具体例 三田市・興福寺の宝篋印塔
この塔身には、月輪(がちりん)、つまり円形の中に、種子のウ-ン
(東面)、タラ-ク(南面)、キリ-ク(西面)、 アク(北面)が、薬研彫り
されている。
1)その具体例 三田市・興福寺の宝篋印塔
この塔身には、月輪(がちりん)、つまり円形の中に、種子のウ-ン
(東面)、タラ-ク(南面)、キリ-ク(西面)、 アク(北面)が、薬研彫り
されている。 北朝年号 応安5年(1372)建立 「一結衆等」云々の刻印から、信
者から浄財の持ち寄りらしい。
宝篋印塔の説明図
(インタ-ネット検索によりお借りした資料です。)
宝篋印塔は 「ホウキョウイントウ」と読む。
「一切如来心秘密全舎利宝篋印陀羅尼経」と言うお経を写して、
塔中に置けば、この塔は、卒塔婆になり、この塔に一香一華を供え
て供養すれば一切の重罪が一時に消え、生きている間は災害から
免れ、死後は極楽に生まれ変わるとの功徳の教から宝篋印塔の建
立の歴史が始まったとされている。
2)上の説明から考えると陀羅尼経の納経から始まった日本の宝篋印
塔建立の歴史は 鎌倉時代以降、供養塔、慕塔的な役割まで広が
って行ったものと思われます。
滋賀県米原市(旧山東町)徳源院には、その土地の領主18代の宝
篋印塔が並んでいる。
現代で言うところの墓塔的な利用例であろうか。
3) この金禅寺は貞和5年(1349)建立と刻まれているので、室町幕
府の時代に建立されたものとすると、その役割は、供養塔、墓塔
の役割であっただろうか。
その刻印から浄財の持ち寄りによる建立が考えられる由。
4) 興福寺の宝篋印塔も三田市の重要文化財に指定されている。
☆ 金禅寺について
金禅寺は行基和尚の開創(729)とされているが、没落しており、江戸時代前半に黄檗宗の
鉄眼道光禅師により再興されたらしい。
その意味で、この宝篋印塔の創建年代は刻印から分かるがどんな人物の墓塔か詳細はつかめない。
金禅寺の三重宝篋印塔の意味:
1. 塔身が三重になっているのが珍しい。普通は二重である。
2. 初層の塔身には、多くは金剛界四仏の種子、ウ-ン、タラ-ク、キリ-ク
アクが刻まれているが、この金禅寺のそれは、阿弥陀仏の仏像と種子
アク、ウ-ン、サ(観音)が刻まれております。
3. 仏教の決め事として、通常キリ-ク(阿弥陀)が塔身の西の面にあるとされ
ておりますので塔身の正面西にあたり 阿弥陀坐像を彫刻、
( 他の宝篋印塔では、通常「阿弥陀」の種子キリ-クが刻印されます)
塔身の真裏側 東にあたり 種子のウ-ン (阿?如来)が刻印されており
ます。
塔身の右側面、南に当たり 種子のサ(観音)が刻印されております。
塔身の左側面 北にあたり 種子のアク (不空成就如来 ) が刻印され
ております。
☆ 通常。宝篋印塔そのものは仏教界で全てを司る最高絶対の仏様「大日如来」
であり、その四方を阿?如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来がい
て、世の為人のために働いている。
そんな形を多くの宝篋印塔はあらわしているらしい。
その点、ここは阿弥陀坐像と観音の刻印が特異のようです。
☆ 種子の例
真ん中の種子が大日如来であり、その中心を固める四面に四つの種子が
配される形だと思われます。
種子の読みは自信がありませんからお許しいただきますが。金剛界、胎蔵界
でその種子が異なるようです。
・・・・・
私自身、宝篋印塔について、今年初めてその存在を教えてもらったものの、三田市・興福寺の事例以外では:
この金禅寺の三重宝篋印塔しかこの目に触れておりませんので、これから機会あるたびにその事例に触れ、理解を深めたいものです。