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テーマ:暮らしを楽しむ(388277)
カテゴリ:家族・一族
その前に、友人からの正月のご挨拶メ-ルに鵠沼海岸から見たフ富士山の写真が見事でした。 このメ-ルによると、この写真が撮影された場所の近くに藤沢小学校があり、その近くを 大学の箱根駅伝の選手たちが走ったそうです。 羨ましい!! § Δ 〇
奈良の春日大社の系列の一つであろう。 みんなの今年1年の平安無事を祈りましたが、あいにくの雨模様ですっきりしませんでした。 台輪鳥居 鳥居は明神鳥居と同じ形式ですが台輪が付いているのが特徴らしい。 お寺に仁王門があり、仁王さんがおかれている。 その形式を踏まえて、神社の門にも”隋身”と名付けられている「神様を守護する武将が居る。 奈良朝や平安時代の貴族・皇族の警護者の名前”隋身 ずいじん”を仁王さんに相当するものとして 神社の神様の保護に当たってもらった。 それが隋身門の形式の起こりらしい。 狛犬も含めてすべて神様の側からその位置と名前が決められている。 従って、訪問者側から見て、左側が右大臣、右側が左大臣となる。 1. 全部で22皿
4人掛けのテ-ブルで、4人が全員皿そばにしたのでこんな感じ。 美味しかった!、来てよかった! 2. 上の状態を近寄って撮った さらそば
このお店が出来て10年あまりか、人気があります。 出石は遠いが、篠山なら”皿そば”を食べてみようかとお考えの方は一度お試しください。 このような趣旨のご紹介がありますが、同じ兵庫県内とは言え、出石は日本海側であり 三田からはかなり遠いので、この篠山市で皿そばが食べられるのは有り難いことです。 その前 道路の向う側の売店
昔からここも黒豆入りパンの売店で、我が家のお気に入り。今回も買い込んだ。 黒豆コ-ヒ- @250円
ろまん亭には様々なおみやげ物が所狭しと並んでいるが、今回はさようなら。 ほんとうに珍しい
彩色されたマンホ-ル蓋の色彩を施設として設置した頃に近づけてみました。 お城の石垣と堀などがモチ-フだろうと思います。 マンホ-ル蓋-2
1814年に10日間この地で測量した由。 ここは元の笹山藩の郡役所のあった場所かと うろ覚えで覚えている場所です。 1814年は徳川幕府では徳川家斉が将軍であった年でした。 ともかく、また一つ勉強になったと思いました。 現在、同じような石碑が元の笹山藩内に計4か所設置済みとか。合計10か所に石碑を建てる 運動もあるようです。 その情報は未確認です。 その距離を測る方法としては、伊能忠敬や同行の関係者の歩測だったと思われます。 元気であっても疲れていても常に一定の歩幅であることが絶対求められていたのですから この偉業にはただただ頭が下がります。 § Δ 〇
段階ではこの篠山には青山公が城を構えていて、大阪城の抑えの一つとして存在したらしい。 屋敷など、あるいはお昼の食べ物など人を引き寄せるものがあると思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年01月09日 16時14分25秒
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