4006062 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

三田のいのしし 見て歩き日記

三田のいのしし 見て歩き日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

さんだのいのしし

さんだのいのしし

カテゴリ

コメント新着

ななちゃん@ Re:名前の分からない黄色い5弁の花について(05/23) コナスビではないでしょうか
ななちゃん@ Re:名前の分からない黄色い5弁の花について(05/23) コナスビではないでしょうか
青木 考@ Re:睡蓮の花とネナシカズラの話です。(09/14) ブログ主様、 (ニホン)ネナシカズラが生え…
く~ちゃん@ 心配してました 長らく更新されなかったので、心配してま…

フリーページ

お気に入りブログ

紫陽花が咲いている… New! グランパ3255さん

「しろうと自然科学… しろうと自然科学者さん

山野草 則利写真館 のりちゃん4752さん
猫のひたい nemuricoさん
路上観察 タマ君1144さん

カレンダー

ニューストピックス

2017年06月21日
XML
カテゴリ:花と園芸

2012-05-25 撮影の写真です

 ほぼ正面から

 

  唇形の花が茎の先端に2列に並び、一方向を向いて咲くとのこと。花穂は基部が曲がっている

  そうだ。

  この一方向に向いて咲く特性を撮影の際、忘れずに撮影できていた撮影の機会を見つけたのが

  今回で、正面、左右の横からと背後からの姿がほぼ狙った通りに写真になっていて嬉しかった

  この株の背後からの姿 : 唇形という花のお顔が見えない。

      

  右横ら後の姿 

 

   
  こんな姿で花が付き、一方向に向けて咲いている様がよく分かった。心臓形と紹介されて

  いる葉もほぼ分かる。

 左右の横から見た花

   やや 右横から見た花と株

    

    やや左側から見た姿

   

   あまり適切とは思はないが、葉の形を撮ったつもり

  

  唇形と呼ばれる花の姿と上心弁には沢山の毛が見える

      

  この写真でも一方向に向いて咲く花の特質がよく分かります。

 度々現場の状況を述べてきたが、北から南に向けて流れている谷川の岸で、2mあまりの岸の

   1m強の所から上、幅で10mあまりの強い草むらの中に点在している。

   私の体験からはタツナミソウはこの谷川のみ。勿論他の地域にも多いと思われますが。

   10月頃に咲くおかタツナミソウは貴志御霊神社近くの田んぼの岸に見える。
 
   一方向に向いて咲くと言うこの花の紹介もこの10年近いブログ生活で何回か取り上げて来た

 が 、今回ご紹介できたような正面、左右の横、背後の写真が揃ったことは、オ-バ-に言えば

   ”空前絶後”の事だろう。

   2012.05.25という5年前の写真に出合えてよかった。

参考資料

「季節の野草・山草図鑑」 日本文芸社刊 .平成22年2月22日第9刷 

 1. 名前の由来 みな同じ方向に開花し、波頭が立ち上がったように見えることから。

 2. 科 名 シソ科スクラテリア(タツナミソウ)属

 3.   花 色 紫、桃、白

 4. 仲 間 コバノタツナミ、シソバタツナミなどがある。

 5. 原産地 日本、アジア

 6. 草   丈   20~40cm

 7. 花 期 4から5月

 8. 葉の形 緑色の心臓形で、有毛。 素人の私は卵形と心形(ハート形)は似ていて見分け

                   が難しい。

 

§ Δ 〇

同じ谷川の岸で並んで咲いているミヤコグサ、2012年も撮影していた。

 

 源流に向かって右側の岸ではミヤコグサはこの辺のみですが、左岸の道路の左側では、今

   6月の20日頃ではある程度の数の花が見られた。

   程度このミヤコワスレが咲いていた。

〇 § Δ

余談ながら:

2回続けて橋の欄干で昔は当然のごとく見られたギボシ、擬宝珠は狛犬、鳥居、常夜灯などに

刻まれた十干十二支、いわゆる干支について考えました。

特に干支に関しては、ウォ-キングで市内を巡回すると至る所で石材に刻まれた文字が読みとれ

ます。

素人が読みとれる情報はしれたものでしょうが、できるだけ感じてみたい。

例えば元禄14辛巳年は西暦では1701年ですが、徳川幕府では第5代将軍綱吉公でありあす。

赤穂藩の浅野内匠頭公が吉良上野介に殿中で切りかかり、悲劇が起きた年ですが、この年に三田

ではある神社の鳥居が建てられたと刻まれているらしい。

尚、辛巳はカノトミ又はシンシと読むそうです。

その年3月に起きた悲劇はそんなに遠くない内にこの三田にも伝わったと思われますが、どんな

気持ちで受け止めたのでしょうか。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2017年06月21日 11時34分47秒
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X