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三田のいのしし 見て歩き日記

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2018年02月18日
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テーマ:生涯学習(293)

今回2月15日付で市内三輪の来迎寺(ライコウジ)の向拝に見る木鼻や海老虹梁並びに宝篋印塔
を訪ねた印象などご紹介させてもらいました。

それに挿入する形で「木鼻」の一つ”象”に関して参考として上槻瀬の大歳神社の象を載せました

象の彫り物も獏や獅子のそれも想像の世界だろうが、見事ですね。苦心したでしょうね。


2012.02.17撮影 向拝の向かって右側の木鼻を加工して飾ってある象。阿形。

今回ほぼ6年ぶりに大歳神社の写真を書庫から引き出して、改めて驚きました。

豊かな彫り物や造作に満ちており、改めてその一端のご紹介と神社仏閣の建物における木鼻の

約束事なを学びました。

向拝に向かって右の柱正面の木鼻 組み合わせから獅子が飾られるそうです。


向拝のある神社が多いので、2本の柱の左右には象が、周面に向かって獅子が飾られるこの神社

の形式と同じ姿にお目に架かれるというわけらしい。

この場合は、獅子の像にするのが約束事だそうです。但し厚い板をくり抜いて獅子の姿を見せ

る例も多いらしい。ここは正規の獅子そのものの彫り物が見られます。

その線に沿ってご紹介です。

大歳神社全景 上槻瀬の地名にも由来するのかケヤキの巨木が見られます。

小さな神社で、一間社と呼ばれる建屋だと思われます。

2012.02.17 天満神社、興福寺、天柏神社などを巡りたどり着いたのが大歳神社で、上にご紹介

の写真以外のご紹介です。

 向拝左側、柱に取り付けられた木鼻 

 

  この写真は、右半分が向拝の正面であります。

  この飾りは、上述の例と同じで獅子のようです。その右横には来迎寺の例のように太い梁が見え

  ております。

  写真の左半分が、向拝の左側面で有り、象が飾られております。

  その左横には”海老虹梁”の一部が見えます。

   本殿と向拝を繋ぐ”海老虹梁”

  

   この海老の躍り方は神社により様々な工夫がされて異様に思います。

   向拝の正面からご本殿を見て左側から右側の海老虹梁を見る形の写真です。
   右の柱の上で、海老虹梁がつき出た部分が木鼻(西本彫刻所の表現で木鼻A)で”獅子”鼻
 手前が木鼻(西本彫刻所木鼻B)で”象”鼻

 つまり、この向拝の柱には四つの木鼻 A×2 B×2 合計4個の木鼻が見られます。

 かつて兵庫県下には大歳神社が260社存立したらしい。

 その意味で、この神社も成立した歴史は相当古いものと思われます。

 

    各地の神社内の祠などにおいても、向拝がある形式の場合この海老虹梁はそれなりに心配り

    が見られます。それくらいこの海老虹梁は大切な造作だと思われます。

    大原の大歳神社も兵庫県重要文化財指定だそうですが、この上槻瀬の大歳神社もそのように

     思われます。

    『』

  大原の大歳神社の掲示板 永禄3年(1560年)再建とある。

    織田信長公が桶狭間で今川義元勢を打ち破った年に当たるらしい。室町時代の終末期に当たる

    のでしょうか。

  古い神社を維持する目的と思われる覆いの建物と神社 小さな神社を別の建屋で覆う例は市内

    の別の神社でも見られます。

   

    大欅

   

   この大きいケヤキは大事に育てられている様子でしたが、何かの事からその木肌が痛々しい

   様子になっていた(2012.02.17現在)

 狛犬のご紹介 
   時代を特定できる力はありませんが、大変ユニ‐クな形状であり、ゆったりしている様が可愛い。

   阿形の部 同じ阿形を見る場所により3体 見てもらうことにしました。

  
   高さ 60cm

  

   阿形狛犬も吽形狛犬も共に頭が平らで、丸々している珍しい形状だと思いますが、市内の

   何処にも同じ形状の例は無いかもしれない。(三田市の調査資料拝見)

   下の地面から見た阿形

   
 この短足型と同じように足の短い例を関西短足型(例 堺市 菅原神社狛犬)とみる方も居る。
 

 神社に向かって左側にある吽形狛犬 
    
  もう少し横から撮ったら良かった。この吽形には角がある(三田市 三田の狛犬(上巻))

 〇 § Δ

    三田市の高平地区について

    1. 江戸時代は高槻市の本拠があった「麻田藩」の飛び領地であったこと。

    2. それ以前の鎌倉時代などは多田源氏の勢力下にあったのではないか。

    3. その為、昔から奈良、京、大阪方面との交通も独自の発達が考えられる事

    4. 

 






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最終更新日  2018年02月18日 05時49分19秒
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