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三田のいのしし 見て歩き日記

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2018年04月30日
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テーマ:生涯学習(293)
​​

お地蔵さんとは: 

​詳しい情報は末尾でご紹介させてもらいますが、モデル的な映像。(見つからない)​

「」

左手に如意宝珠を捧げ持ち、右手に幢幡(ドウバン)(竿の先に吹き流しを付けた荘厳具

錫杖と如意宝珠を持ったお地蔵さんの例

   三田市内京口のお地蔵様

  
 経緯は分からないが如意宝珠と幢幡(ドウバン)と呼べれる吹き流しをもって歩く僧形の方が
 少なくとも日本では根付かなかったから。お地蔵様においても「錫杖と如意宝珠」のお地蔵様

   しか見いだせない。・・・想像ですがそう思います。

さて
三田市内のお地蔵様

   1. 道祖神(道路の守り)村はずれ、地域の境に見られる

         最も典型的なお地蔵様

         京口のお地蔵様

         京口の交差点と道案内とお地蔵様 : 右奥の方向が三木播磨に通じる道だろう?

        

         その前にある道路標識 道案内

         
          左神戸 有馬 大坂 右三木播磨

         お地蔵様 

        

       下深田の地蔵様

        
        吉川に通じる国道(或いは県道)の端に立っている。

       
    写真の右に立つお地蔵様の錫杖らしい物は、今は見えませんが持っていたと思われます 


       川除の「さむらい地蔵菩薩」

       そのお堂

        
        今、県道三田-篠山線が走っている地域の田んぼの間を通る道路に面して地蔵堂がある
       その中の二体のお地蔵様

      
       2体のお地蔵様の内、右の小さなお地蔵様について
       (1)  背後に板碑の様なものが建てられている

                 右側 中段には さむらい地蔵菩薩

                 左側 中段には 政  東地蔵菩薩

        (2) 基壇になっているコンクリ-トブロックには

                 佐無來      ・・・上の板碑の文字から「さむらい」と読んでもよいだろう

                 地蔵菩薩

                 と刻み込まれている。

    (3) 左のお地蔵様には何も見当たらないので、この2体のお地蔵さまは元々別の場所に

                 あったとも考えられます。 

        武庫川の大幅な改修により今は農道の脇に立っているが、かつては武庫川に面した

        何かがあってその一画にあった。推測です。

        武庫川の氾濫に苦しんだ歴史がこの地方には多いらしいので、水難除けの願いが痛切

        であったのだろうか。

         中町のお地蔵様

         

        中にはこんなお地蔵様が。

        
        このお地蔵様の背後が武庫川。今は川幅も広いし高い堤防状になっている。

        昔は。

        やはり住民の信仰の背景には水難よけがあったかもしれません。この上流に川除(昔は

         川除村?)と呼ばれる町名が出来、今も続いているくらいだから。

         平成6年に完成した武庫川の改修工事で川幅が広がり真っすぐになっているが、昔は大きく

         蛇行していたので、大水が出るとその川下は酷い水難に襲われたと思います。        

         藍本の武庫川べりで出合ったお地蔵様

          
   

          駒宇佐八幡神社から出てしばらく道路を歩き、武庫川をまたいで農道を歩く。

          須磨田の田園と人家を見て歩いたのち、市内四つ辻から小野に抜ける県道?309号線の
        軽い上り坂を千丈寺湖にたどり着くまで歩く。

          その左の山すそにお地蔵様らしい3体の石造物を発見

         

        上の写真の内、右端の1体の拡大写真です。

    

        お地蔵様の左右の文字を判読できれば、このお地蔵様に寄せる皆様のお気持ちも理解できる

        かもしれません。

        今はともかく、昔はここも村境の土地でありそうです。 

 2. 道祖神など基本的な願い事は同じではあるが、地域の気持ちの纏め的な意味合いがるのかも

         知れない

         中央町-一乗寺南地蔵 別名 北向地蔵

        

         この地にあった一乗寺がなくなった後も傍にあったこのお地蔵さまは大事に護られた。

         武庫川の大きな氾濫など様々な災害に立ち向かう気持ちの象徴でもあるらしい。

         三田町の北向地蔵

        

        お堂に祀られているお地蔵様

        
   お地蔵様の左腕の肘に子供を載せているように見えます。このようなお地蔵様はきっと

       他の地域にもみられるのではないでしょうか。 

       北向地蔵」の意味について不勉強ですが、この地域の気持ちの纏まりにこのお地蔵様

       が果たした役割が大きそうです。

      南ヶ丘の日の出地蔵

     
     この場所は小高い丘の頂上にあります。
     前に大歳神社とお稲荷さんが存在しており、現在この地区の公会堂もある一画なのでこの地域

     の中心的地域だろうか。

     南ヶ丘にある三田市立図書館へ徒歩デ、ウオ-キングを兼ねて通う祭に大歳神社境内からこの

     日の出地蔵の横を通り抜けて通います。

     その都度、このお地蔵様にお参りされている方に出会いますので今でも強い信仰が続いていると

     思われます。

    
    脇の2体のお地蔵様はともに錫杖と如意宝珠を持っているが、中央のお地蔵さまは見えない。

  

   伝説、民話が生まれたお地蔵様

     相生町の「子育て地蔵」

     []

     藍本の秋谷地蔵 別名 「いぼとり地蔵」        

    
    藍本の、別名秋谷地蔵と呼ばれるお地蔵様ですが、全国規模の「イボコロリ地蔵」の著書と

    HPからの引用ですので、2018.04.26現在の様子は分かりません。ご理解願います。

    羽衣出版の「いぼとり 神様 仏様」のPHで紹介されているいぼとり地蔵の中の一つで、

    写真をおお借りしました。全国にいぼとりに苦しまれた方がいかに多かったか分かった。

  また :

    地元の神様、仏様でもすがれない悩みや願い事を訴えることもあっただろうし、いまでも

    お参りしていると思われます。

お寺や墓地に見るお地蔵様
 1. 興福寺の墓地の一画見る

        
    このお地蔵様と並んで弥陀種子板碑2基がある。

    いずれもこの墓地の一画に設置された経緯があるのだろうが、墓地とここに葬られている

        方々を護る意味もあるのだろう。

    2. 墓地の入り口:六地蔵   2013.02.21 撮影

       

       大原の墓地 入口の並んでいる6体のお地蔵様

       お彼岸で樒の入れ替え時だったので、1体撮影させてもらったと記憶している。

      
  興福寺境内のお地蔵さまと同じように、右手に如意宝珠、左手に錫杖が見える。 

 
  3.  正覚寺境内・墓地

        
        いずれも2013.02.22 市内のお地蔵様巡りの際撮影したお地蔵様の例ですが、この写真

        の左側に石のお地蔵様らしい仏像も見られます。

      
        右手に持っていたと思われる錫杖又は幢幡(吹き流し)の代わりに、木の小枝らしい物

        で代行しているかに見えます。 

 4. 青龍寺(市内福島地区?)のお地蔵様たち

       
  失礼ながらこれらのお地蔵様を拝見して気が付いたことですが、市内の道端、村さかい

      などに置かれていた物を何らかの理由でこのお寺が預かっているのではないでしょうか

  5.   金心寺のお地蔵様の集まり

     

    その内の左端 比較的新しいお地蔵様のように見えます。

      

     右手に如意宝珠を持ち、その腕には小さな子供が載っている。左手には錫杖を持っている。

     足元には子供たちがいてお顔を見上げている様に見えます。

     珍しい。

     ここのお地蔵様たちも地域の道端などで信仰を集めたことでしょうが、何らかの理由で

     立ち退いたのち、この金心寺に置かれたものと思われます。  

 6.  来迎寺のお地蔵様

        

ウイキペディアなどパソコン情報に見る”お地蔵さん”
 1. 著書の紹介

         「おじぞうさん」 著者 田島征三さん 1988年 初版

   2. サンスクリット語 「クシティガルバ」

   3. 大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々を其の無限の大慈悲の心で包み込み

         救うところから名づけられたとされる。

   4.   その姿は;

         如意宝珠と幢幡(竿の先に吹き流しを付けた荘厳具、錫杖。種子 カ、ha
    5.  日本における民間信仰では、道祖神としての性格を持つと共に「子供の守り神」として

         信じられており、よく子供が喜ぶお菓子が備えられている。

    6. 一般的に親しみを込めて「お地蔵さん」「お地蔵様」と呼ばれている。

    7. 道祖神(岐の神)と習合した為、日本全国の路傍で石造が数多く祀られた。

    8. 「町の結界の守護神」

私見というほど思い詰めて考えたことでは無いが
    1. 場所的に見ると

          1.-1 道祖神として、「村さかい」としてもろもろの意味で信仰された。

    2. 地域の護り、地域の心のよりどころとして、例一乗寺南地蔵

    3. 墓地の護り

          六地蔵、正覚寺、興福寺などの墓地の一画、その他

    4. 奈良、平安時代など民間人が仏教など信仰することは禁じられていたので、人々は

          心のよりどころとしてお地蔵様を信仰し、その願いが今も続いているかもしれない

         その典型的な例が、中央町にあったとされている一乗寺で、何らかの事情でお寺が

          廃棄されたらしい。

       そこでその信者、地元住人はそこに存在したお地蔵様を残して維持している。

         (一乗寺南地蔵講)

    5.  病気平癒、なかでも「イボトリ」 が必要な病状が昔は目を覆うがごとくあった。

         それに対して、お地蔵様を信仰すると「イボ」がころりと取れる・・・奇跡みたいな

         治癒体験が全国的にあった。医学的にも体質の変化が治癒を助ける現象の認定がある

         らしい

          「イボトリ地蔵」が全国的に存立することになった。

         今日も沢山残っているらしい

 
◎ ◆ 〇






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最終更新日  2018年04月30日 06時07分05秒
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