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テーマ:こころの旅(60)
カテゴリ:セラピー
サイキック・マッサージのクラスではリーディングの練習をするのだけれど、正直「これだ!」と言い切れるほどはわからない。
何かのイメージや台詞がやって来る場合もあるけれど、わからないときは本当にわからない。 直感と一口に言ってもいろいろと種類があって、ビジョンとして画像を見ることや、台詞として言葉を聞くこともある。 ただ質を感じることもあれば、フィーリングとして感じることもある。 けれど何やらごちゃごちゃしててよくわからない。 さらにそうして得た情報をどう評価するかが理解を要するところだ。 ただ見たままをそのまま伝えるだけでは、あまり意味がない。 そこに瞑想的スペースがあるかどうかでも評価が違ってくるし、人が成長することへの理解の深さがものを言うのじゃないだろうか。 サガプリヤと出会って、ずいぶんと助けてもらったから、そのワークの真髄に触れたいと思いながらも、何せこのワークは僕には向かないとお墨付きをもらっていたので、別のワークにいそしむことになった。 それはどういうことかと言うと、このワークで行うリーディングやレゾナンス・チェックをするには、内向的、女性的、静的な質が必要となるからだ。 静まりきった水面が、鏡のように何でも映し出すことができるようなものなのだろう。 ところが、僕は生まれつき外向的、男性的、動的な質の持ち主だ。 だから、きっと僕は退屈してしまうだろうとサガプリヤは言った。 それももっともだと思って、サイキック・マッサージではなくパルセーションのような、呼吸や感情開放を含む、もっとダイナミックにエネルギーを動かすワークをすることになった。 今年、サガプリヤが行ったワークは昔のものとはずいぶん変わっていた。 以前は女性性が強かった(優勢だった)けれど、男性性とのバランスをより強調するようになって、退屈なんてすることはなくなった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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