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テーマ:こころの旅(60)
カテゴリ:雑感
先日、北浦和で行われているマンダラ展を見に行ってきた。
このマンダラ展は以前大阪の民俗学博物館で企画されたもので、見損なったと思っていたものだ。 そのうえ今回は宗教哲学の泰斗、立川武蔵氏の講演が聴けるというので行ってみた。 正午に整理券が配られるとのことだったのだけれど、着いてみるとすでに長蛇の列。正直言ってマンダラや密教に興味のある人がこんなにいるのかと驚いた。 少々なめていた。何とかぎりぎり整理券をゲットすることができた。 講演会は立ち見が出るほどの大盛況。 テーマは「密教とは何か」という大きなものだったけれど、密教(タントラ)の成り立ちとマンダラの使用法などわかりやすく説明していただき、へぇボタンを何度か押させていただいた。 まぁ大乗仏教がお釈迦さんの教えでないことはまちがいない。 さて講演の最後に立川氏は言った。 「マンダラについてはわかった。仏の位置やシンボルもわかった。けれどそれが何なのか?それをすることによっていったいどのような精神状態になるのか?どのような効果があるのか?という一番大切な問題が残されている。」 そして「いまから少し呼吸法を実演したいと思います。」と言うや、演題に立ったままうつむいて 「ぴゅる…ぴゅる……ぴゅる……しゅっ…ずずず~っ…ぴゅる…しゅしゅっしゅ~…」 今まで聞いたこともないし、吸っているのか吐いているのかも、どこから音が出ているのかもわからない呼吸をしはじめたのだ。 そうしているとがくりと膝をつき片手を床につけると、何事もなかったようにすくりと立ち上がった。 「このように言語中枢のスイッチを切るのは非常に簡単なんです。いま私は口もきけなかったし、このままつづけていくと1人で立っていることもできなくなるでしょう。言語中枢を切ってもイメージやリズムというのは非常に鮮明に心に残る。そういう状態でマンダラのイメージが身体の一部を通して入ってくるのです。」 「けれどこういことをやっていると脳血栓や心筋梗塞になりやすい。だから他の人たちと一緒にやらなければそのまま死んでしまうこともある。」なんておっしゃる。 チベット密教はいうに及ばず、およそ行者と呼ばれる人たちはみな何らかの方法で心身に過度のストレスをかけることで、死の領域に足を踏み込もうとしていたのではないだろうか。そこで得られる臨死的な体験や精霊たちとの交流、そして幻覚が何らかの力を与えていたのかもしれない。 さらに呼吸法だけではなく、詠唱や音楽、ドラッグや酒、セックスなど、通常の意識状態を突破し、変成意識を得るためにありとあらゆる実験を繰り返していたのではないだろうか。 そうしたところが、やはりオウム的というか、そうは変わらないように思う。 だから、もとは「タントラで気持ちいいセックス~」なんてあまっちょっろいものではないんだよね。 命がけなんすよ、きっと。 念のために書くと、こうした行法には大きく二つに分けられると立川氏は言う。ひとつはシャーマン的でより呪術に近いもの。もうひとつは仏教的で個人の悟りを求めるものだそうだ。シャーマン的なものには容易にアクセスできるが、仏教的なものにはなかなかアクセスできないのだそうだ。 立川氏自身もアクセスできていないのだそうだ。 実はプロセス的にはさほど違わなかったりして… 展示されているマンダラは比較的新しいものが多く。 図像的にはおもしろかったけれど、おどろおどろしいものはさほどなかった。 9月には以前日記に書いた本「性と呪殺の密教」の著者正木晃氏のマンダラ・ペインティングの講演もあるという。 マニアックな方はどうぞ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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