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カテゴリ:考え事
最近「真実」や「現実」についてよく考えます。
真実は1つしかないわけで。 真実ではない虚偽空想に惑わされずに行動するのを心がけるのが良い行動だと、確かに思います。 でなければ詐欺に遭うかもしれません。 でなくても、人間の性質上、何らかの被害を被ることになることは自明でしょう。 では「真実」とはなんなのか。 テレビで言っていたこと? 本に書いてあること? 友達が話してくれたこと? 厳密に「真実」だと言い切れるものは、結局自分が見たものしかないんですよね。 今私の目の前にパソコンがある。これは紛れもない事実であり、つまり真実だ。 そしてそれらの紛れもない真実から、論理的に実証できること、これも真実です。 しかしそれだけを真実と認め、他を疑っていてはこの世界では生きていくことはできないでしょう。 人間は、提供された事柄に対して真実の度合い(信ぴょう性)をあてがう。 そして、互いに相反する事柄の中でもっとも信ぴょう性の高い事柄を真実と認めるのだ。 考えていただきたい。 私たちが今までに養ってきた知識の、どれだけがその“不確かな確か”で埋め尽くされていることだろう。 この世のすべてを理解するなんて、実質不可能なわけだから仕方のないことなんですが。 もちろん普通に生きていく上で、どれほど“不確かな確か”があったとしても、ほとんど困ることはないでしょう。 しかし人を裁く裁判なんかもこの“不確かな確か”で埋め尽くされているのだ。 検事が提示する物的証拠。 弁護士が提示するアリバイ。 このどれもが裁判官からしては“不確かな確か”であるはずだ。 人生を左右するその宣告に、不確かさがあっては良いはずがない。 ではどうしましょうか。 約束をする? 宣誓文を書かせる? 法律を作る? 確かにそれもいいでしょう。 しかし、そんなものでは縛ることはできません。 むしろ簡単に壊れてしまうものなんです。 真実はだれにも知ることはできない。 なぜなら自分の真実を他の人物と共有することができないから。 実際に同じ視点に立って、同じものを見なければいけない。 あなたは“紛れもない真実”と“不確かな確か”を区別しているでしょうか。 紛れもない真実だと思っていることが、実はそうでもないかもしれませんよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年09月23日 03時40分43秒
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