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いろを的陶器とちょっと気功な話

いろを的陶器とちょっと気功な話

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2008.08.05
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陶器2.jpg

 久しぶりに「美術館」に絵を見に行ってきました。

 「絵画」や「造形物」などのモノ(世界観)にも、人の「気」(想い)を強く感じますね。私は正直「美術館」が苦手です。内容にもよりますが、長く居ると頭痛がします。ただ、「美術館」に行くと、「私も頑張ろう!」と自分を奮い立たせて貰えるんですね。普段、周りのせいにして自己主張を怠る自分に「自分も何かやらなきゃ!」という具合に。それも頭痛の原因?

 皆さんは「ピカソ」の絵を見て、心の底から「いい絵だなぁ~」って感じています?私は正直感じていないので少し不安です。何処かの評論家や気の強い仲間が「いい絵だ」と言ったから、自分のセンスを疑われないように自分の素直な感想を押し殺して合わせたりしていませんか?そんな他人との感性の違いに「絵の見方が解らない」とか苦手を感じていませんか?

 自分の中で「いいなぁ!」と感じたモノは、元々自分の中にもある感覚のように感じています。むしろ、「なんだコレ?」と感じたモノ、他人には受け入れられない感覚って、本当の意味でその人だけの感覚に近づいているように感じてしまいます。「ピカソ」なども、初めから今ほどな扱いをされていたとは感じませんね。私も「自由」な感覚に憧れる程度です。

 少数の同じ感覚を持ち合わせた発言に影響力のある同業者や評論家が認めたり、あるいは同業者や評論家が自分の感性をアピールするために世間で受け入れられない感性をわざと認めたり、既に周りの感性に合ったモノが認められていた人がやった奇抜な表現スタイルなど、徐々に周りが他人の感性に合わせることも少なくないように感じます。

 「有名な評論家(専門家)が言うんだったら間違いない」と言った具合に・・・。そうやってモノの「価値」が創られていくことも少なくないと感じています。特に日本人は技術的なモノに趣を置くように感じ、芸術(感性)的なモノに対しての関心は低いように感じます。必ずしも「美」と「芸術」は結びついていませんしね。

 私は、良い意味でも悪い意味でも何気なく足が止まる絵以外は、全て素通りしてしまいます。いつも痛い頭を抱えながら、一緒に行った人を待合室で長い間待っていることになります。後から「有名な人の絵があったね」と聞かされて、損したような気にもなりますかね?想い切り言っちゃいましょうよ。ピカソはヘタクソ~って。(笑)(07.10.7著)

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 最近は子供が画いたような絵が多く評価されているように感じますね。

 「子供的」・・・純粋で自由で裏(体裁)が無く癒される感覚もありますかね?私も軽さ(単純)や、独特のアイディアを感じられるモノに惹かれますかね。ただ、評価されている絵の中には、技術的に裏付けられた「子供的」もあれば、単に「子供」(ヘタクソ)な絵も正直あるように感じますね。そして子供の頃は皆そのような自由な絵を画いていたように感じますね。

 昔は技術的に「上手い絵」(本物そっくり・体裁の良い絵)に趣が置かれ、そこに矯正されてきたように感じますね。学校教育(特に日本の)において「技術」は優劣を付け易いですからね。そして現代では比較的表現を重視する外国的評価に釣られたりして専門家の自己評価上げ的に遣われたり、個人的には単に「目新しさ」にもその要因も感じますが・・・。

 職人的技術を持った親が、我子の抽象的な絵の高評価に対して「何処が良いのか解らない」と漏らしていました。努力して技術を手に入れた人には、子供の頃のまま楽しく画いて良い評価を貰ったような人に対して良いイメージばかりではないでしょうね。逆に子供にとっては親の技術がプレッシャーになり、別のスタイルで勝負しなければならないようです。(08.9.9著)

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 「三丁目の蕎麦屋さん、すごく美味しいんだって!」無邪気な知人が言いました。

 彼女は自分の舌に合わないと、「この店、失敗!」とか「もう来ない!」とか、よく後悔もしているようです。私は例えば「蕎麦」など1つのカテゴリーにおいて、店によっての味に優劣を付ける感覚が今一つわからないのですよね。それぞれの店の味の違いは解るのですが、時に感じる「やる気のなさ」も含め、どの味もそれぞれに楽しめると言いましょうか・・・

 別の料理的感覚・・・?知人のような場合、「蕎麦」というカテゴリーを創り、「蕎麦とはこういうもの!」的自分の中の決め付けによって味に優越をつけ、また時に味の感じ方まで無意識に変えてしまうようにも感じますね。初めにそのカテゴリー(決め付け)がなかったら、そのうちの幾つかは「まずい」とは別の感じ方にもなっていたのではないでしょうかね?

 「頑固オヤジのこだわり手打ち蕎麦」的店が近所にありましてね・・・めんつゆに天ぷらをつけて食べようとすると「塩で食え!」、残っためんつゆに蕎麦湯を入れて飲もうとすると「蕎麦湯だけで飲め!」と店主に怒られ・・・蕎麦の味どころではなくなって二度と来ないと私は決心しましたが、こういった店は時に行列もできるほど人気があったりするんですよね。

 「ソースを付けないで食べて!」無邪気な知人が言いました。

 有名なお店のメンチカツを買ってきたから・・・というのがその理由です。私もメンチカツは好きなのですが、お店の拘りよりも単に衣とソースの相性が好きと言いましょうか・・・私にとってはソースがあってのメンチカツなんですね。一応言われた通りに一口食べますが、後は出来るだけ機嫌を損ねないように理屈をつけて、ソースをたっぷりかけて頂きます。

 別の日にまたメンチカツが出ましてね・・・キャベツと共に1つの皿に盛り付けられて出てきましたので、例によって自分の側だけソースをかけると、「なんで私の方にはかけてくれないの!」でした。確かに今回のメンチカツは例の「こだわりの店」で買ったものではなかったらしいのですが・・・ちょっと泣けてきますかね。(笑)そんな愚痴はさて置き・・・

 「こだわり・手間」(自信)が、作品の価値を「感覚」的に(良くも悪くも)変えてしまう力も感じますかね。

 人により、作者の「こだわり・手間」による自信が直接伝わって味覚に反映されたり、また人により間接的に「こだわり・手間(自信)をかけたモノであれば不味いはずが無い」というある種「想い込み」が生まれ、またそこに「クチコミ」という更なる「想い込み」的力が加わったり・・・また食べ方の指示により作者の世界観を楽しむこともできますかね。

 ただ人によっては食べ方(他人の感覚)まで押し付けられる感覚に少なからず反発もありますかね。そしてまた前記のことに関しては、食べることにあまり執着(関心)も薄い私にとっては、そこに原因があるようにも少なからず感じますかね。(笑)そして私も確かに拘っているモノには優劣をつけていますかね。今回も私の正直の中に沢山の矛盾も感じました。

 また公平ぶって全てを受け入れてしまうと、例えば他人との会話などが何かと展開していかなくて詰らなかったりするんですよ。好き嫌い(偏り)を創ると話が盛り上がったり(深くなったり)することも少なくないんですよね。そして昔は寛容的に感じられた「ヒトそれぞれだから・・・」も今は寂しく感じますかね。(09.6.10著)

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 「○○鑑定団」

 抹茶茶碗が500万円!とても有名な作家の作品で、歴史も古く、希少性のあるモノらしいですね。何よりも「景色」と称し、その形や色・柄の美しさによってもその価値をつけているようですね。ただそういった見た目による感覚的価値となるとプロ・アマ問わず平等なモノであると感じますがね?意図的に他人を真似て、印や名などを添えてしまえば別ですがね。

 例えば有名な作家が創った本人が気に入らない作品がたまたま処分されずに後に出てきたとします。おそらく評論家は、そういった作品にも「景色」云々を訴えて高価な値をつけてしまうと感じますが・・・本人が見た目の感覚的に気に入らないモノに高価値をつけてしまうと、結局は名声や評論家の感覚・好みで価値をつけているということになりませんかね?

 有名な作家の小さな茶碗が、無名な作家の大きな花瓶より高かったりして・・・作る情熱は大して差は出ないと感じますし、むしろ材料費や製作時間・手間などを考えれば単純に大きいモノの方がかかっているでしょう。作家名を出さなければ花瓶を選ぶ人も少なくないと感じますし、興味の無い人にとってはいずれもガラクタのように扱われてしまっていますよね。

 そこに評論家によって高値がつけられれば欲しいと感じましょうが、おそらくお金に替えてしまいたいと考えることでしょうしね。また箱がなくなってしまうと半値にもなってしまったり、だからといって箱だけでは半値ほどの値打ちもつかなかったり・・・100円の品と数万円の品を見分けるバラエティー番組において、多くが見分けが付かなかったり・・・

 玄人受けも大切でしょうが、どんなに有名な作家のモノであっても、素人の気も惹けないで「名作・本物」の定義がどこにありますかね?価値って曖昧ですね。また旦那さんの骨董趣味を嫌い、鑑定によってそれ程の価値がないと解り、奥さんが「いいきみ!」的な反応を示していますが、奥さん自身の財産が減ってしまった訳でもあり・・・

 自分だけの趣味や仕事にお金や労力が流れることも時に、女性に対する浮気以上に嫉妬を買ったりしますので、程々にしたほうが良いかと・・・ただ例えそのお金が奥さんの方へ流れたとしても、結局ブランド品やご主人を除いた友達同士の高級なランチやディナー代など、自分だけに興味のあることに遣われてしまうことになってしまったりもするのでしょうけれどね?

 私も骨董品の価値付けには違和感も多く、それなら洋服や旅行代に回ったほうがマシのようにも感じていますが、自分がそこに巻き込まれる当人で無く、それもその人の興味の問題と感じますので、旦那さんのホローも入れて置きますね。そしてなによりもそこまで好きなモノがあることが羨ましく、嫉妬しちゃいますね。(10.10.30著)



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Last updated  2012.06.27 00:03:22
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