強風が余塵を吹き払い見事な快晴の月曜日になった。ヒトは毎朝、目覚めると同時に人間になる(あるいは人間になるために睡眠をとる)、ヒトとは畢竟いっぽんの長い管にすぎず、と喝破した人物もいた。その管の入口のひとつが発する「話し言葉(small Talk=気の置けないものばかりの狭い空間での他愛のないおしやべり、といった程度の意味)」の放埒ときまぐれ。日々流されるニユースはあらかじめ選択され、まるでヒトがしゃべるように流される。村に張りめぐらされた非常時連絡用有線マイクロフオンシステムが強風のために故障して、集落ごとに立つスピーカーからキーンという大音量の破裂音がしきりに洩れるが、べつに抗議もなく、まあ聴いているのは雲だけで、その雲も夜明けの風に払われて、かろうじて一個だけがちぎれた形で天空にのこっている。エイプリルフールの4月1日こっちからデジタルテレビ電波の十二使徒、いや12セグメントのひとつだけを流用する携帯端末向けワンセグ放送がはじまった。さあケータイでテレビが見れる時代デスとかテレビ新聞どもがさかんにしゃべくるけれど、もちろんここいらあたりでは関係なく、テレビはあいかわらずアナログな電波で粒子の荒れた画面がいっそ能天気な番組には似つかわしい。むかし銀座をひととあるいていて、アナログとかデジタルって、アレいつたい何のこと?ときかれた。デジタルという言葉がちようど一般につかわれるようになったころで、1989年の春先だったか。アツプルが発売したGUI(グラフイツク・ユーザー・インターフエース=絵とテキストが同一画面に表示できる)方式のパーソナルコンピユータ(マツキントツシユモデル)が新しもの好きなデザイナーや音楽家を中心に国内にやっと10万台ほど普及したとかいう時代だつた。そのとき、四丁目交差点の横断歩道の前で信号待ちをしていた。かがやける情報通信上場企業予備軍の先駆け企業を勝手に気取つていたお馬鹿なわたしは服部時計店の大時計を指差して、エスオーエヌワイが派遣してきたその美人秘書にむかい、「アナログはあの大時計のようなものかな、切れ目のない、まあ連続する微分曲線さ。それにたいしてデジタルはさあ、ひとつひとつが計量された不連続な量からできている、数学で云えば積分曲線というわけさ」などとよけいわからなくなるような説明をした覚えがある。賢明な彼女がそれをきいて、このひとばかじゃないか?とおもったかどうかそこまではもう忘れてしまつたが、「わかった」とうなづかなかったのはもちろんのことであった。しかしながら確実に話しことば(small Talk)はその時代から変質を遂げて、やがてくる今日現在のドコデモ交流な直流世界の仮想空間を予知していた。銅線通信から無線通信アナクロからMITの工科大学なアインシユタインへ、そうしてクオリアな脳内味噌の意識が目覚める寸前まで。この世界がきちがいじみたコミユニケーシヨン波動でもっておおわれる現在世界のリアルなライヴが「ちいさな物語」を吐きだすようになるまで。かくて…、ははは、何云つているのだ、ゼンゼンわからない、わたしはだれさと、そのような「この世界」が成立する。
こんなことを殊更に書き出したのは、今日の朝日朝刊に写真家の藤原新也が「デジタル化する人間の“眼”」(時流自論)という、なかなか興味深い見解を寄せているからだ。報道カメラの老舗ニコンが今年に入りフイルムカメラから撤退したことを前ふりにして、ついに「写真の世界ではアナログ時代が終わりを告げ、デジタル時代が本格的に到来したことだ」といい、「人間の眼そのものもここ30年のあいだに徐々にデジタル化してきている」「むしろハードのほうが後追いで人間の感覚に追いついてきた」のではないかと指摘する。
つづきは夜に。
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Last updated
2006.04.03 15:09:28
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