湯島天神の大鳥居を出たところに、黒塀造りの木造家屋があった。そのむかしは武家屋敷だったらしい。わたしがいた頃、そこには女性二人が住んでいた。ひとりは年の頃四十代半ばくらいで、名前は三枝道代という。和装のどことなく影の薄いひとであった。もうひとりは、彼女の娘のようだった。名前はさだかでない。ずいぶん後になって、ふとしたことから娘の名前が母親と同じであるらしいことを知るが、当時は、わからなかった。わたしの住むマンションが、通りをはさんでちょうどそのななめ向かいにあって、七階のわたしの部屋のベランダから屋敷の全体が見えた。もちろん、家の中の様子はまったくわからないが、玄関を出入りする様子を観察していれば、日常の生活ぶりはおおよそ見当がつくものだ。とくに意識して観察していたわけではなかったが、それでも夕方近くになるとほぼ毎週末にひとりの男が訪ねてくるのがわかった。細身の背の高い後ろ姿が、ときに格子戸をくぐってそっと屋敷の中へ消えるのが観察できた。それで、なんとなく気になりだしていつのころからか屋敷の動静を意識して観察することになった。早い話が「のぞき」である。男の年齢は五十代はじめくらいだろうか。あるとき、近くの喫茶店でばったり顔を合わせた。お互いにまったく見知らぬもの同士ながら、わたしのほうはなんだか旧知の人物とおもいがけなく接近遭遇してしまったような、ばつの悪さを感じたことを覚えている。むこうはむろん、わたしのそのような事情はあずかり知らないわけで、おそらくはまったくの無関心であったろう。男の第一印象はわるいものではなかった。上背はベランダから見ていたとおり180センチほど。きゃしゃななで肩で、しかし痩せているわけではない。そのときは初夏に入ったばかりの頃合いだった。上質の仕立てのいいグレーのスーツに白のエナメル靴だった。ひとりでさっと入ってきて珈琲を注文した。出口の帳場のすぐ前、通りに面した席に腰を下ろして、ひとり黙々と珈琲を飲んだ。週末の午後だった。私のいる奥の席からは窓から流れ込む明るい光に、男の整った横顔のシルエットが浮き彫りになった。そのときだったか。ときどき世間話を交わす店主に、小声で男の素性を尋ねてみた。彼はわたしの問いかけに黙って通りの端に駐車する車のほうへ顎をしゃくってみせた。それではじめて、男がその車でどこか郊外から通ってきていることを知った。わたしのマンションからでは、男の車が駐車しているところは死角になって見えなかったのである(車種はそのときはわからなかったが、しばらく後になってイタリア車であることが知れた)。
いまから思い返すと、わたしがそもそも男の存在に注意したことが、偶然や単なる気まぐれであったとは考えにくい。なにか見えない糸がはるかな過去の時間の中からするすると引き出されて、現在という時間の中に不思議な事象をかいまみせるという、神の采配であるようにさえおもえる。いや、このようにおもわせぶりに書くことはむしろ必要ないであろう。わたしが男と遭遇したその翌週に出来した出来事の奇々怪々は、それからしばらくのあいだ、マスメディアを震撼させることになるのだから。
(つづく…次回は、いまのしごとが一段落する7月下旬頃に掲載予定です)
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