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カテゴリ:社会問題
今回(25日)は、前回(23日)に紹介できなかったことを紹介しようと思っていたのですが、1つ大きな動きがありましたので、今日はこちらから先に紹介します。余裕があれば、積み残しの “トルコ政府(軍を含む)内のイスラム教団支配が再び進んでいる”という話を紹介します。
ブログ更新のための励みにしていますので、クリックを是非よろしくお願いします。 前回、冒頭の結論?で「止めは“金利が原因、インフレは結果”というエルドーアン理論(高インフレ率下での金利引下げ)とBOT方式を使った癒着企業への税金の垂れ流しによって、トルコ経済が滅茶苦茶になり、かつ、財政も逼迫し、トルコ国民の大窮乏化が2022年から2023年には生活レベルで明白に感じられるほど明らかになってきました。そして、首の回らなくなったエルドーアン大統領が、外交でも経済でも、“歴史的Uターンの連発”しました。流石に、エルドーアン教徒も減ってきたものと思われ、そのための対策として表れた状態が、今日紹介するような政治状況ということになりそうです。」と紹介しました。今日紹介するのはPKKの攻撃によってトルコ軍兵士12人が殉職したという事件です。23日の夜から24日にかけての24時間の間に、最低2回にわたる攻撃で合計12人の兵士が殉職しました。外交問題?の側面と、国内問題の側面があるようです。情報源は管理者には分かりませんが、トルコ軍兵士たちが殉職した状況に関する写真がソーシャルメディアで出回っているそうです。それが事実とすれば、203高地か、硫黄島か、とにかく何の対策もない状態で、普通にテントを張って野営していたところを襲撃されたそうです。ピクニックに行っているのではなく、敵地に入って、テロ組織あるいは非公式軍隊に対する軍事作戦を行っていたのであり、トルコ兵が皆殺しに遭っても何の不思議もない状況とのことです。国会では、AKPが提出した“テロ遺憾決議”にCHPとDEMが賛成しなかったとして大問題になっています。そして、自分の出身地でもあるマニサ県で行われた殉職兵士の葬儀にオゼルCHP党首が参加した時、アジテーター集団がオゼル党首に対する非難の声を上げ、暴行しようとしました。以前、クルチダルオール前CHP党首が同様のリンチに遭った時には、実際に殴られ、もう少しで焼き殺ろされるところでしたが、今回は、マニサ県知事も、マニサ市長(MHP所属)もオゼル党首を守っていました。CHPがAKPの提出した遺憾共同声明に賛成しなかったことを口実としたものですが、CHPは独自のテロ非難声明(共同声明で使われている用語よりも非難度が高い言葉を使用)を出し、かつ、善良党などの一部の野党と同様に、“国民が喪に服す日”を宣言するよう政府に求めまていした。そして、上で紹介したような、無謀・無策の結果、トルコ兵が無駄死にしたのではないかいう点をはじめ、2年前から行われているイラク越境作戦の目的、成果、状況などを追求するために、ギュレル国家防衛大臣に国会で状況を説明するように求めました。いつも紹介している解説者は、この状況を「エルドーアン大統領による戦死の政治利用」と解説していました。この点で、PKKがこの時期を狙ってトルコ軍兵士への攻撃(管理者はこれを“テロ”と呼ぶ気はしません)したのか、それとも、エルドーアン大統領がわざわざ攻撃しやすいようにしている(政治利用目的)のかは、現時点では判断がつきません。時々紹介している外交に強い記者は、トルコ国会の開会日である10月1日の内務省(国会のすぐ近く)への自爆攻撃、と今回の23~24日の北イラクでの多数のトルコ兵士の殺害は、いずれも国会でスウェーデンのNATO加盟の批准を検討する直前であることを指摘していました。スウェーデンはPKK に友好的?で、多くのクルド人が難民となって住んでいるところで、また、PKK支持デモもしばしば行われ、それを取り締まらないことでトルコ政府としばしばもめています。そのスウェーデンがNATO加盟と引き換えにトルコに妥協的になることを恐れたというのが根拠の1つです。もう一つは、12日にはバイデン大統領がエルドーアン大統領に、その数日後、ブリンケン国務長官がフィダン外務大臣に電話をかけ、“トルコ国会がスウェーデンのNATO加盟を批准すれば、F16 のトルコ売却について上院を説得する”と約束したことを指摘して、PKKは自分たちが危険に曝されると感じて“テロ攻撃”を実施したとのことです。管理者は軍事専門家ではありませんので、PKKにとっての改良型F16 40機の脅威がどの程度かは分かりませんが、一方で、アメリカを怒らせて、アメリカからPKK、あるいはPYD-YPGに対して行われている軍事支援が止まれば、それこそ大変なことになることは想像ができますので、“PKKがスウェーデンのNATO加盟を妨害するために多数のトルコ兵士を殺害した”という説には、現時点では完全には納得できない状況です(ただし、トルコでは、シリアにおけるアメリカの存在は、単にイスラム国(IS)対策ではなく、アメリカの石油権益のためというのが通説になっていますので、アメリカが直ちにPKK支援を止めるとは思いません。また、あまりにもタイミングが良すぎるという点からは、外交的動機説にも確かに根拠はありそうだと思えます)。いずれにしても、北イラクにおけるPKKによるトルコ兵殺害事件は、国内問題の観点と外交問題の観点の両方から見て行く必要がありそうです。 次に、前回紹介できなかった“トルコ政府(軍を含む)内のイスラム教団支配が再び進んでいる”状況について紹介します。事件は2つありました。1つは士官学校の卒業式で、アタテュルク初代大統領(独立戦争を指導した軍最高指導者)の写真を胸に付けていない士官候補生(イスラム教団関係者と言われています)とそれを注意(非難?)した士官候補生(正統な?アタテュルク主義者)の間の口論・喧嘩?があり、結果として双方が懲罰を受け、写真を付けていないことを注意した本来は表彰されてしかるべき?の候補生が不名誉除隊になったという事件です。もう1つは、国会の予算審議で国家養育大臣が発言し、“あなた方がイスラム教団度呼び、我々は市民団体と呼んでいる組織と、協力覚書に署名してきたし、今後も協力を拡大する。あなた方の子供たちが市民団体の働きで山に登らない(=「PKKに参加しない」という意味)ので、あなた方は地団駄を踏んでいる悔しがっているだけだ”と発言したという事件です。ここからまとめて解説します。トルコは政教分離が憲法で規定されていて、特に「トルコ軍の最大の脅威はイスラム教団(原理主義者)である」という認識が長く続きました。それが転換したのは、当然ながらAKP時代になってからです。それ以前からFETO(フェトフッラー・ギュレン師氏の指導下にあるイスラム教団)はトルコ軍、警察、検察、外務省などの主要な国家機関に分子を入れることに力を入れていたことは明らかになっています。そして、2013年12月17~25日の事件(4人の大臣の不正がFETOの警察・検事によって一斉に捜査され、これに対して別の警察がこれらの警察・検察を逮捕・収監したとされる事件(FETO対AKPの最初の具体的衝突)。ただし、捜査は全く正当なもので、FETOとは全く無関係の真面目に警察官も多数含まれていると言われています)までは、少なくとも表面的にはAKPとFETOは協力関係にありました。したがって、反政府的な、反政教分離を掲げるイスラム教団は憲法違反であり、国家に対する脅威であるという考えと、AKP(エルドーアン大統領)、FETOをはじめとするイスラム教団の、信教の自由、より正確にはイスラムに基づく生活を行う自由の主張の対立がありました。教育とトルコ軍をイスラム教団に任せることは、トルコ共和国とトルコ軍の根本にかかわる問題として、AKP政権以前は厳しく排除されてきました。教育に関しては具体的な数字や結果はありませんが、少なくともトルコ軍をFETOに委ねた結果として、2016年7月15日のクーデター未遂事件が発生したことは広く知られています。そのため、野党は「2016年7月15日のクーデター未遂事件から何の教訓も得ていないのか」と批判しています。にもかかわらず、エルドーアン大統領が何も言わないのは、「FETOを含むイスラム教団には脅威を感じていない=クーデター未遂事件はエルドーアン大統領の管理下で行われた」からかもしれません。いずれにしても、今回の2つの事件は、教育省とトルコ軍の中でイスラム教団の影響力が広がっていることを、極めて明白な形で明らかにした事件と言えそうです。
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Last updated
2023.12.26 15:18:04
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