イタリアはいわずと知れた移民をたくさん出した国。かつての日本がそうだったようにイタリアも戦前、戦後の貧しさから抜け出すために多くのイタリア人が海を渡ってアメリカ合衆国やカナダなどに移住しました。相方の両親も1960年代後半にカナダに移住をして80年代には地元に帰ってきた。この村は(イタリアのほとんどの村もそうだけど)1950~1960年にかけて多くの人たちが移住した。その結果人口が激減してそのまま過疎化が進んだ村も珍しくない。
お隣のフランスにも相方の親戚などが数多く移住した。ボネッフロからの移住者が多く住むAlsace(アルザス地方)。
移民一世なんかはたまに帰ってくるけど二世以降になるとほとんど帰ってこない。以前相方に村の活性化もかねて「アルザス地方に住むボネッフロの人だけでも、ボネッフロに招待すれば」っと言ってみたら、「役場にかけ合ってみる」といって去年から計画していたものが今回実現してしまった。相方を中心に10数名のチームでやったらしい。アルザスから観光バスに乗ってやってくるのは二世や三世の世代を含めた70名程度。彼らは親戚の家か旅館に滞在する。
私も何名かは既に知っているので、初日はconventoと呼ばれる村の集会所みたいなところに挨拶がてら行って来ました。
ごく簡単な挨拶が行われた後は中庭へ移動
中庭ではイタリアの前菜や軽い飲み物など
天気もよくて本当によかった
若い世代の人達でも簡単なイタリア語くらいは話す(俺レベルかも)。この日は野暮用でこの後の昼食会には参加せず。翌日の昼食に参加することに・・・
翌日同じ場所で昼食を
アコーディオンでフランスの民謡と至りの民謡やらを演奏しつつ昼食
知り合いのフランス人側のテーブルにも呼ばれて、なぜか感謝された。日本人なのに・・・。イタリア人はスゴク郷愁の念というか、そういうのが強いなあと思ってしまった。要は寂しがり矢なのよね、彼らは(笑)
地元のワインの入ったボトル(ボトルじゃねえな)には方言で「ボネッフロの友達」の文字が。
村のシンボル的fontana(噴水)の絵入りのケーキも用意。
二日目はこんな感じで終わり、祖父母らのの故郷を見て回る人達で村が少し賑わいだ。相方は夕食の手伝いもあったので彼女が帰ってきたのは夜の11時。お疲れさん
最終日の昼食会へ続く・・・