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いたち(医達)塾。ナルヘソサプリ 栄養管理で健康を保つ

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2018.09.28
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カテゴリ:いたち村
​​​​​​ ちょっと、私がいたち村で行いたい先のお話を記してみます。


 ​その道の専門家の方がいらっしゃればアドバイスいただけましたら幸いです。​



 

 今日はジャンボしし唐がたくさん収穫できました。出荷していないので、
このしし唐のその先が心配ですが。無農薬でキレイにたくさん収穫できました。

 しし唐自体も栄養価が豊富で、機能性を示す作物でもあるようです。



 ししとうはピーマンと近い同種なので、あまりに大きいのでピーマンと
思ってしまう方がいらっしゃいますが、しし唐です!おいしいですよ。


 

 これは牛蒡(ゴボウ)の花で今は種になって、それを牛蒡子(ゴボウシ)といいます。

 牛蒡子についてはこちらのページを参考にしてみてください。
リンク


 今日は畑の賃料をお支払いしてきまして、
また一年畑をお借りします。
賃借りしているのは1400平米のみであとは、所有か無料で使わせていただいています。
畑だけで1000坪以上あります。


 さて、今回記していきたいのは将来のお話。
以前に書いたことがありますが、今一度。


 もちろん、ペット用のサプリメントの原料生産を旗印に就農して活動しています。
就農するには最低1500坪を最初に借りているか、所有していないとできないので
そのハードルを越えるのが非常に難儀でした。今年から900坪に減りまして、
とても楽になっています。


 ペット用の原料生産では話が通らないので
人間が食す作物の栽培もかねて作物を選定し、
全部の畑で作物を作るようにしています。


 かかって手間、コストに比較して作物の価格が安すぎるので
今は販売をしてはいませんが、たくさん作っています。

 販売するための出荷調整に時間がかかるので
販売益を得ない代わりに、時間を確保しています。



 まあ、もう、借地を触らないでも十分所有地ができたので
怒られる筋合いも無くなったのですが、頑張っています。


 国道一号線が谷間を貫く場所にあり、土地はないので、
平らな畑、一区画で広い場所はとても貴重です。


 静岡市は政令市で家はドンドン建ちますし、
平野部も狭いので畑に使える土地はドンドン減っていきます。
まとまった畑はなかなか手に入りません。



 さて、ペットのサプリメントの原料生産。



 これを目標にしているのは現在。


 今回記したいのはその先のこと。




 やりたいのは「人」の為の憩いの場と言えましょうか。
第一の目標は例えば鬱病を発した人。


 例えば仕事が大変でうつ病を発して、仕事を休む人。仕事ができない人。
できれば急性の人がいいとは思うのですが


 以前聞いた話ですが、鬱病というか精神病の方は
外で陽を浴びて生活のリズムを整えて
体が癒えていくという施設というか
グループホームといいましょうか、そういう場があるそうで、
そういう人に可能なら住まいと、作物を作れる
土に触れる環境を提供したいと考えて
広い敷地を持つように考えました。


 どのような形がいいのかわかりませんし、
そんな人生のヤドリギになる場所を用意できればなという
想いがあります。


 もう一つは、障碍者のかたの収益の場として。





 なんでそういう想いを持ったのかは、
フェレットの活動をしている中で持ち得たことなのですね。
良かったら続きもお読みいただけると幸いです。



 フェレットの健康を調べていく中で、
ペットフードの粗悪さを知ったのですね。
だから。1998年以降のお話です。



 4Dミートと言われるような
死にかけた、死んだ肉を原料としたり、
爪や毛を利用して少しでもタンパク質数値を高めようとしたり、
知ることになったんですね。タンパク質の数値が高いと
それだけで肉を多く使っていると思わせたいのか、
販売価格を上げられると思うのでしょうか?ペットフードの価値を上げるために
そんな人間が口にできないような原料を使うことを知ったのですね。
そのタンパク質を高めることは
2007年のメラニンの事件にまでつながってくると私は認識しています。

 ​参考リンク;ウィキペディア


 まあ、そこで思ったのはより誠実なフェレットのご飯はできない物だろうかということ。


 そういう目線で調べていくことになったのですが、
その行動のなかでハタと気が付いたのは、


 フェレットの食をより良いものにする・・・



 ってことよりも、世界には人間が食事を満足にできていない事実
目が向いたのです。
 


 というのも、栄養学の歴史を読んでいると
飢餓・病気の歴史が栄養学の発展の歴史でもあるのです。 


 それでいて、現在も飽食と呼ばれるのは極一部の国で、
大勢を占めているのは飢えなのですね。


 そうもこうも考えていたのは2000年代前半のことで、
今2018年は日本でも飽食で、食べ物を大量に廃棄されている反面
食べられない人も多くいるのが現実です。

 そこで、こども食堂とか、フードバンクという活動も目立つようになりました。


 私は現状、作物を応援しているこども食堂に寄付をしていますが、


 思ったのは、人が食べられていない段階で、
人間が食べられるような原料を作って
動物のご飯を作るのはどうなんだろう?と悩んだんです。

 


 あるとき、福岡と北海道だと思うのですが、
餓死のニュースが短い期間で流れてきました。


 たぶん、福岡の事件だと思いますが
男性でメモに「おにぎりが食べたい」と、
あって亡くなっていたというのです。



 なんかとても悲しくて。



 フェレットの幸せを追求することはいいのですが、
同族の人間のことも頭に入れないといけないなと思ったのです。




 もっとも、栄養学の歴史では例えば戦争の時の
集団に発生する栄養上の問題が集団病を起こし研究対象にされるレポートが多くあります。


 たとえば、第二次世界大戦の時のドイツのユダヤ人を囲ったゲットーで
そこにいた医師たちが飢えて死んでいくレポートを残しています。


 第二次世界大戦後にはソ連で飢えにより
人肉を食していた事例もあります。
これはかなり最近、出てきた話といいます。


 中国でも毛沢東の時代に国策の誤りで
人肉を食していた報告もあります。


 食べられないんですね。




 かなり調べていると人食まで極端なことにはなる前に
近年でも飢えとか餓死とかかなりあります。


 主食が米食と言われる日本も、日本人全体が
米を食べられるようになったのは第二次世界大戦後なんですね。




 ペットフードは穀物と関連がありまして、
世界の穀物事情も興味があり見ていると、
食糧庫のアメリカやオーストラリアなどでも頻繁に干ばつがあり
穀物が採れない時期もあります。

 畑をやっていると近年は特にですが
例年にない天候不順も強く感じます。


 その天候不順への対応などで自己生産の道があるわけですが、
やっているのは自給自足が目的でもありません。


 先ほどの食べられない人と分け合いたいなーと。
生産したものを差し上げるのではなくて、
一緒に作って恵みを分け合うのがベースです。その前に、事情を進めます。




 身近な人によってはユニセフに寄付をしている人もいますし
フードバンクを運営している人もいます。


 人がやっていることは応援しますし
同じ事をやっても仕方がないので
私の今の結論は上記の



(急性)ウツの人の居場所づくり。癒しの場の提供
障碍者の収益事業のお手伝い。



 このところに考えは集約して行きました。


 
 (急性)ウツに限定したお話ではないのですが、
私も仕事をやり過ぎてダウンしたときに、
うつ病の人ほかに触れる機会を持ちました。
それで思うところがあったのです。


 うつ病を代表とするとして心の病気は
今は脳の代謝が適切に機能できていないとされています。


 それはまじめで頑張り屋さんがあるとき、脳が悲鳴を上げて
発症しているようにも私は受け止めています。

 頑張り屋さんがなる脳の悲鳴と私は思っています。


 その時は十分の休養が必要で
人によっては行き場がなくなる人もいます。
会社が面倒を見てくれる社会であればいいのですが、
現実はそうとばかりでもないことを知りました。


 病気になって、お金が無くなって、生保を受ける人もいます。
やっぱり食は体の基本なので、おいしい食物を食べながら
体が癒える場をできないかなーと。

 参考になる事例はありますが、


 人生の休憩時のよりどころの一つを作れないかと。
         思ったのが、今の活動の長期的活動力です。


 だれもが人生の休憩って必要になる可能性はありますものね。



 

 基本になる食が、簡単なものが多くなり、
加工食品も多くなり、栄養的に思うところがあるんですね。


 でも、そうした人に食料を分けれるだけの資金的なものはないので
生産して分ける。むしろ食べる人はみんなで作って分け合える環境できないかと
考えたのですね。やれない人はやらなくてもいいし、
自分らで食べる分なら、きっちり生産しなくても食べる分にはできる。
  その栽培法の確立のためにイロイロ作っています

    ポイントを押さえて簡単にできる。収穫できる作物の剪定・・・これを今しています。



 なんで、(急性)ウツかは、治りやすい可能性があるという
個人的な思いもあるからです。


 世界で起こっている飢饉や飢餓はできることもそうないのですが、
ウツの人で知り合った人は何人か自死を選択している
事情がありまして、「生きていていいんだよ」という場を作れないかな?と
思ったのですね。生きてていいと。言って差し上げられる力があればと。


 なーんか、脱力をする悲しいことがいくつかありまして。


    そんなことを考えています。


 
 もう一つの障がい者さんのお話は
作業を頑張っても月間所得が極めて低い現実。

 何とか協力できないかな?と思うことがありまして、
頭に入れています。


 


 ともかく今できること、敷地を開発して収穫できるまですること、
私ができることはハード面の協力だと思いますし、
性格的にソフト面は難しいと思いますので、
同じような目線を持っている人と協力できればと思い
受け入れられるだけのフィールドを整備しています。



 手の届く範囲で、手を差し伸べられることで
近い人と幸せに生きる輪ができないかと挑戦をしています。



 



 少し話を戻すと、20代前半の時に、女性友達が
ペットに関わる仕事をしたいと父親に話をしたときに、
「ブルジョワ対応の仕事」で難色を示したってことがありました。


 ブルジョワっていう言葉を出すこと自体、変わった言葉を使うなーと思うのですが、
お金がある人対象の仕事ってことなんだと思います。


 ペットと暮らすことってある意味お金が必要でしょうし、
本当に困っている人と比べれば余裕があるといえるのかもしれません。


 そういう「場」を対象に仕事をするのもいいのですが、
なんか社会全体を見た時にイロイロと違和感を感じます。

 でも、そういうのが現実なんでしょうし、
福祉の仕事をしたいわけでもなく


 あまりにフェレットの幸せ追求というのが
引け目を感じるというか、食べるに困っている身近な人に対して
感じ入るところがあるんですね。


 そういうのもあり、私なりにできることとして
上記のことを将来やっていきたいですし、
実現のために一つ一つやっている段階です。


 想いは口にしていれば、縁は生まれてくると思っています。





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最終更新日  2018.09.28 02:27:02
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