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カテゴリ:栄養雑学
最近、、、持っている情報が正しいのか不安になるときがあります。
と言うのは、おかげさまで頭のなかには自由自在にいろんな情報が浮かんできます。 それだけ読んで、講座を聴いてきた結果イロイロこれはこう、 それはそうと思います。 本を読んでいてもフーンって思うことと、 覚えてはいないけど、覚える必要はないけどそういう情報もあるなーて思っています。 覚えていない、覚える必要のない情報はその都度資料を開けばいいですからね。 大枠を理解していればいいのだと思っています。 かなり大切な情報はコレまでの経験でワンちゃんで触れた情報や 一つのきっけかけが問題を越えるモノになっていったりしました。 ワンちゃんの情報はほかに出会えなかった物もありますし、 キッカケになった情報はそのキーワードで調べていくと 全体像を把握するんに役立り複数の情報に触れられることになります。 不安になるのは、それって今でも正しいの?と思う事。 私の場合の正しいと認識する条件があり、 思考のなかで判断を分割して人格を持つようにしているので 全否定とか全肯定でなくても、そういう意見もあるけど 説明は納得できないけれど、その事象には理由が納得できる 見解がまだ生まれていないんだろうなー将来にわかるようになればいいやと 途中経過として情報を据え置いている物もあります。 今日なんかも、新聞でこれまでは花びらでは光合成をしていないと思われていたが リンドウの研究で花びらで光合成が行われているのが判明した。 と、ありました。花びらの光合成がなされているのかは 私にとって、「へー」って程度の新情報でどうでもいいと言えばどうでもいいのですが 研究されている人が日進月歩で新しい発見を発表していただけると 過去の常識が覆されることが起こるのですね。 ですから情報は普遍的なものではないし 更新されていく情報を常に追っていかねばならないんです。 タマに書きますが、いつの間にか見解が私に連絡なく変わっていて 古い知識のままでいることもあります。 気が付けばその都度更新して行く様にしていますが 一つ大切なのは、どんなことでも、全部に「こうである」という答えはまだ存在していません。 一つ一つ「こうである」がわかってきて 時には「こうであった」と変わっていくものなのでしょうね。 そうなると過去に持ち得た情報が今でも普遍的なのか 更新されていないのか興味を持っています。 最新除法や、最近書かれた書籍、ネット情報が正しいことを書いていることでもないのです。 むしろ25年前に私が得ていた情報の方が正しいのに その本やHPでは誤って書かれている物も多くあります。 そんなときにはたまに、この本には、この資料、この時の論文では このように書かれていて、この情報と相反するのでどういうことですか? と、その都度言い方は違いますが問い合わせをしています。 逆に、こういう論文でこうなっていますよと 教えていただけばなーと淡い期待をしながら 概ね私は元になる資料と、その記述をぶつけることをしています。 最近でもありました。たくさん。 私の過去の知識の方が現代でも変わらない 普遍的な情報だったことの方が多いです。 またそのうちホトボリノの下がった時にこんなことがありましたと 紹介してみたいと思います。 さて、長くなった前置きを置いておいて、 シリーズの主旨に戻すと この何回かで書いているのは手元にある 生化学の教科書を元に情報を崩して紹介しています。 この生化学の教科書を開くと いろんな成分が段階的に作られていく樹形図があります。 その変化する一つのポイントごとに作業員が存在しているのです。 生命はその作業員も食べた食材から得られる材料を使い作りだしています。 結局、私は生命が食事をしてどういう仕組みで生きているのかに興味があるので 生命はそうなっているんだーと読んでいるとワクワクします。 それが動物の種族ごとに作業員の違いや 生きる仕組み、仕組みがない場合はその住んでいる地域から得る 食べ物から作業員(酵素)や生産物(体内合成しないでも得られる成分)を 上手に活用しているを見ると面白いですね。 その地域に住んでいるからその生き物は 生きられているというのもいろことでしょう。 この数回前でも書きましたが、 フェレットですべての場所に人間と同じような酵素が存在しているのか 確認しない限りわからないんです。 でもそんな確認実験は去れていないのでわからないんです。 分からなくても仕方がないので そういう現状で研究を進めていきます。 それは【国土と体】を並べるとコンクリートを例に見えてくるかと思います。 と言うのはコンクリートは明治まで日本にありませんでした。 最初のコンクリートは輸入して使っていました。 明治4年以降に日本で製造がされるようになりました 西洋ではローマ時代に見つけていた手法が 日本には明治までなかった。製法としては1825年ころに見つかっていたものが 50年後に日本に来ているので、その製法としては早い伝わり方なのかもしれません。 ちょっと前に群馬の高岡製糸工場を見学したときに その周辺の地域でレンガを焼いていたという展示に眼を止めました。 東京駅でも使われているレンガには海藻を練り込んでいるという。。。 作っていたのがずいぶんと内陸なのですが 粘土の良いものはそこにあって、 海藻を取り寄せていたのでしょうね。 まあ、レンガの話はともかく、その展示に コンクリートについての記載がありました レンガは当初作ることができてもコンクリートがなくて輸入していた そんな展示かと思っていますがそれから調べていました。 コンクリート、、、セメント+砂利(骨材)なのかな? 私も時たまコンクリとを年に数回練って使いますが あまり好きではありません。理由はキレイニになりますが 捨てる時にお金がかかる。壊すのにも手間がかかるそういうのが理由です。 このセメント、理解をしやすくするために用語を減らすために コンクリートでもいいですが、日本でも材料は存在していたんですね。 石灰岩をとってセメントを作る工場はありますでしょ。 秩父なども有名ですが、結構石灰岩の場所は日本に存在しています。 そう、材料は有っても工場(場所:臓器)がないので 作業員(酵素)もいないのでセメントはできなかったのですね。 こういう材料は有るけど、製造をする機能がないのは 非常にたくさんの事例があります。 これは種族ごとの差を見ていると面白いです。 火薬も日本では硝石が無いので輸入とありますが 伊賀の方では尿から作っていたという話も。 定かではないですが、伊賀では火薬も自給できたそうな。 これは甲賀のくすり資料館にいったときに 鉄砲が特集されていて展示されていました。 もちろん他でも見た情報ではありますが 材料は有っても加工ができる作業員(技術)の有無は いろいろと関わってきますね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.08.27 09:12:58
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